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【特集】旅する藤里 「土佐旅館」前編

【前編】









朝食の時間は基本的には7時からだが、仕事や旅の都合で早めに旅館を出たい場合は、6時半から可能。体にやさしいメニューは活力になる。






 藤里町の中心部、藤琴地区にある「土佐旅館」。昭和40年代から旅館業を始め、観光や仕事など様々な目的で藤里町を訪れる人たちを泊めてきました。
 旅館業を通して見えてきた、藤里町の歴史について、土佐ナヱさん、かおるさんに伺いました。






土佐ナヱさん、かおるさん。長年にわたり土佐旅館を切り盛りしてきた。町の発展を担ってきた人たちを支え続けている。





工事や商売で町外から来た人たちに、泊めて欲しいと頼まれて旅館に。


 ナヱさん:昭和43年ごろ、アオサダという縫製会社があり、社長さんと専務さんを泊められないか、という話がきました。まだ旅館ではなかったのですが、座敷に二人を泊めてね。当時は車がない時代、山梨から呉服屋さんが反物を背負ってきたり、淡路下駄屋さんにセールスの人が来たりと段々と人が来るようになったんですね。それで、この町には旅館がないから、やれば繁盛するよ、とも言われて。それで、始めることにしました。

 ここまで、いろんなことがありましたね。うちが旅館を始める前、昔旅館をやっていたところが売りに出されて、その旅館を買えばいいじゃないかという話もあったのですが、何十年も前からの旅館だったからあちこち壊れていて、結局買わなかったの。そこで、鉱山の方で商売をしていた浅利さんらがここ(藤琴地区)に出てきた方がいいとそこを買って、電気製品などを売るようになりました。景気がよかったから、すごく売れたんだよね。
素波里ダムの工事が昭和41年から45年まであって、その関係の人が3、4人泊まっていましたね。冬は雪が多いから工事は休みでしたが、できるまではずっと泊まっていました。

 ダムの人は朝ごはんを食べてから出かけていました。弁当は作らず、その代わりに野菜とお米、みそを下さいと言われて。女性に頼んでご飯を炊いて、お汁を煮て、なにか魚を焼いて昼ごはんにしていたみたい。食事の係の人が、「母さん、米もみそも野菜もなくなったー」と言ってきてね(笑)。

 崖崩れ後にのり面工事をするのに、八戸から来た人もうちに泊まりましたね。 
部屋がいっぱいで泊められないのに、泊まるところがないから大丈夫と言って、6畳の部屋に3人泊まったり、上の4つの部屋には入らなくて下の部屋にも泊まったりしていました。姑も手伝っていたし、よその女の人にも頼んでいて、とにかく忙しかったです。

 かおるさん:旅館と言うより、工事の飯場代わりに使われていた感じでしたね。私が手伝うようになってからも下の部屋に泊まっていたことがありました。工事の現場では、自分の持ち分が終わっても、次の仕事の人が来るでしょう。塗装とか、足場とか。終わった人が部屋の空き状況を確認して、座敷でもいいからここに泊めてやってくれ、と言われましたね。今はさすがに泊められませんが。








仕事などで長期滞在する人用にと、保温性のある弁当箱の用意がある(冬のみ)。工事などが集中したときは、10個も用意することがあったそう。








「薬屋さん、いる?」と確認の電話がかかってきたことも。


 かおるさん:白神山地が世界遺産登録されて、3、4年は忙しかった。東京など遠くから登山愛好家が来ましたね。5月の新緑とか、紅葉の時にたくさん人が来ました。今は、湯ノ沢地区(世界遺産センターのある場所)に泊まる人が増えて、白神山地目的でうちに泊まるのは一年に数人かな。

 イベント行事で湯ノ沢地区の宿がいっぱいになってしまった場合に、うちに泊まる人もいますが、町の交通の利便性を考えると、足がない人が藤琴地区に泊まるのは大変ですよね。山登りで来た人がガイドさんにお願いして、迎えに来てもらったケースもありましたね。

 今は役場の仕事や工事の人、あと釣り目的の人もいます。ただ、ここ数年はアユが不漁で、2年前と比べて昨年は宿泊客が減りましたね。数年前から東京にあるサクラマスの同好会の人たちが来ます。メンバーの一人が泊まったら、仲間を次々と連れて来るようになりました。素泊まりにして、夜は近くの居酒屋で飲んで、夜の藤里を楽しんでいるようです。

 ナヱさん:たくさん泊めたいけれど、部屋数が限られているからね。3階建てにしたらいいのでは、と言われたこともありました。綿屋(布団屋)さんからは、商売をやればお金が入るからとやったらいいよ、と言われて。部屋が増えれば、綿屋さんで布団が売れるから(笑)。その時代は良かったけれど、今は時代が変わってしまったからね。

 今は車を持つようになって交通の便も良くなったけれど、昔は薬を売っているところがなかったから、富山から薬売りの人が何十年も来ていました。11月からクリスマスまで泊まることも。マルセイの薬屋さんで先になって売り歩いている人が亡くなり、別の人が来るようになったけれど、その人も腰が痛くなって。薬屋さんだけれど(笑)。私たちだって80歳も過ぎれば、やりたく無くなるよね。

 かおるさん:あちこち痛いと言ってその人が数年前に辞めてから、代わりの人が来ているみたいだけれど、ここではなくて他の能代かどこかに泊まっている様子。今はあちこちで買えるようになったから、薬を戻す人も多いみたいで。

 携帯電話を持つ前だったから、町の人たちがうちに電話を寄こすの。横山さんに、何々を持ってきてくれってしゃべってくれとか、昨日来てくれたみたいだけれどいなかったから、いついつ来てくれって(笑)。あと、うちでお金を預かったことも。携帯を持つようになって本人に直接連絡がいくようになったけれど、去年あたりでも、横山さん来ないの?と町の人から連絡がきていましたね。









隅々まで清掃が行き届いた、気持ちのよいお部屋。室内でWi-Fiを使うこともできる。









幼稚園の遠足の思い出として語られる、今はなきリンゴ畑・土佐農園。


 かおるさん:畑は川向かいの大屋敷というところにあります。私は見たことがないけれど、リンゴ畑をやっていたそう。今は杉が植えてあって、1本でも残しておいて欲しかったのに、って言ったら、1本でも残したら世話しなきゃいけないんだよと怒られました(笑)。

 ナヱさん:私は手伝えないから、世話をするのに女の人に頼んでいましたね。赤字だから、止めなさいと言われていたの。それで、平成3年に止めました。

かおるさん:幼稚園の先生方が遠足で来て、リンゴの木の下でご飯を食べさせてもらったという話を聞きました。うちのお義母さん、帰りに1個ずつリンゴをあげたみたいで(笑)。私、その時のリンゴ畑見たかったですね。

 亡くなったお義父さん、その上の利左衛門さんがやっていました。土佐農園という名前で、リンゴの木が50、60本あったそうです。今ごろあの場所にリンゴ畑があったら、絶対にサルとクマの餌になっていたかもしれないね。

 ナヱさん:そのころもクマが来ていたよ。すぐそこの豊作さんの家も、他の家もリンゴをやっていたよ。うちが止めて、それから1年後にもそこも止めたよね。









食堂の壁にあった貼り紙。飲み物の持ち込みは自由なので、近くの酒屋で秋田の地酒を購入して食事を楽しんでも。








旅館業をやりながら、畑仕事も。夢中になって働いてきました。


 ナヱさん:それで私が昭和33年に嫁いで3、4年してから、畑仕事を始めました。その前は舅ばあさん(お義母さん)がやっていましたね。寝る暇を惜しんで夢中になって働いてきたけれど、今回は初めて畑を休みました。50歳前くらいの歳なら、すごく頑張れたけれどね。

 かおるさん:私からすると、よくやったなあと思います。私は旅館の仕事だけしていればいいけれど、お義母さんはその合間も休まないで畑に行ったり、採ってきたものを洗ったりしないといけないから。

 みんなが植えているような野菜が多く、ダイコン、ハクサイ、キャベツ、ネギ、ニンジン、ゴボウ、ジャガイモ、ナガイモなど、いろいろと少しずつ。春先ならエンドウマメ、イチゴも植えていました。ホウレンソウとかお浸しにするような野菜を植えてくれて、すごく助かりましたね。スイカを植えたらクマに食べられて、その被害に遭ったスイカを写真に撮ってきたこともありました。

 ナヱさん:トウモロコシも植えないですね、クマに食べられるから。エダマメを植えたらサルにやられましたね。あと、トマトも植えません。サルにやられると聞いたから。

 かおるさん:あと、院内岱からサルが下りてきて、浅間町の畑のカボチャでも運んでいったという話も。サルがカボチャを抱えていくのを見たという人もいるんですよ(笑)。







藤里町にある自家の田んぼで栽培されたお米を食事で供する。甘みがあり、ご飯がつい進んでしまうおいしさ。







旅館の食事を長年支えてきた自家製の米、みそ、漬物。


 ナヱさん:田んぼは浅間神社の農道から入ってすぐのところにあります。作りやすいところだけにしてあとは減反しました。

 かおるさん:田んぼがあるおかげで米を買ったことがありません。本当に助かっていますね。旅館をやるのに一から買うのは大変ですから。あとみそも作ってもらっているので、買っていません。

 田んぼはお父さん(正寛さん)がやっています。昔、農協の指導員だったから、田んぼのことはよく分かっているみたい。今も田んぼの水を見たりしているけれど、稲刈りは院内岱のグループにお願いしています。

 苗も家で作っていたけれど、止めて何年にもなりますね。歳をとって世話をするのが大変になってきた。お父さんが農協で苗を作る仕事をしているから、自分で作ったものをもってくればいいって(笑)。気候も変わってきたから、ビニールをかけたり、外したりと大変になってきました。ずっと家で作っているから、スーパーで米一袋いくらって言われても分からないの。今年は母さんが野菜を作ってないから、改めて買うと高いなあと思うようになりましたね。

 ナヱさん:米と豆を加工所に預けて、みそを作ってもらっているけれど、昔はみんな家で作ったんですよ。今は年間豆2斗、36㎏造ります。秋田市に住む娘もみそを取りに来るので。今年は腰痛で作っていませんが、梅を市日(毎月1、11、21日に開かれる市)で買って梅干しも作ります。昔泊まっていた人はよく食べたけれど、今の人はあまり食べなくなりましたね。

 かおるさん:ここの梅干し、おいしいなあとほめてから、お代わりしていました(笑)。以前は、旅館の前に市日が立って、朝から小屋を建てるのにガタガタと音がしてね。昔は大町にあったんだけれど、バスが通るのが大変という理由で、ここの琴町に来たの。旅館の玄関先に赤電話が置いてあったから、電話貸して下さいとか、トイレ貸して下さいとう人も。上がってお弁当食べていった人もいましたよ。

 市場の小屋にはビニールを掛けているから、火事が出たら広がりやすいでしょう。そういうことも考えて、琴町でアンケートをとって賛成か反対か聞いたの。お客さんがゴミを置いていってしまうことも問題になって、結局反対の声が上がって今の場所(三世代交流館近くの駐車場)に移動したの。琴町から市日がなくなると寂しくなると反対する人もいましたよ。







質の高い手づくりのみそ、白神山地の軟水で作られるみそ汁は、滋味深い味わい。保温トレイを用意して、あったかいみそ汁が飲める配慮も。





(後編へ続く)

*旅する藤里「土佐旅館」 後編
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/1931

















     ライター : 久保田真理(くぼた・まり)
  
   ライフスタイル誌の編集者、オーストラリアでの写真留学を経て、フリーランスとして独立。国内外の取材を通じて、多様な生活や文化の魅力を発信する。秋田市生まれ、茨城・千葉育ち。趣味は、日本酒、トレイルランニング、ソウルミュージックの世界に浸ること。

 


知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。

このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。

藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115



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