お知らせ・イベント

  • お知らせ・イベント全体一覧ページを見る
  • お知らせ一覧ページを見る
  • イベント一覧ページを見る

【特集】旅する藤里「さんこの宿」前編

【前編】


 粕毛地区にて、笑顔で楽しく農家民宿「さんこの宿」を営む安保敦子さんにお話しを伺いました。
宿泊するお客さんを娘や息子のように出迎えてくれるため、まるで実家に戻ってきたかのように過ごせる民家。畑で採れた野菜や藤里町の山で採れる山菜を使った、旬の食材の料理は、ほっとした気持ちにさせてくれます。昔の粕毛地区の様子や、民泊のことなど、日々の生活を楽しむ敦子さんのお話をお楽しみください。

 





笑顔で迎えてくれる「さんこの宿」を営む安保敦子さん。玄関には素敵な花っこが飾られています。


 


笑顔と素直さで駆け抜けてきた敦子さん

 安保敦子と申します。昭和20年1月28日生まれ。今年77歳。ちょうど戦争が終わった年に生まれた。戦争も分からないし、いい時代に生まれた。今はコロナで、ほら、大変になったけども、ねえ。実家はすぐそこ。6人兄弟。お兄ちゃんが三人、妹が一人、弟が一人。
私が真ん中。実家もお母さんもお父さんもすぐそこ、近くにいる。

 ここの風景はそんなに変わらないよねえ。自然があって、山と畑と。私たちはね、小っちゃいときは、外でみんな陣取りとか、鬼ごっことか、玉遊び。外でばっかり遊ぶ。家の中にはテレビもないし、外で遊ぶことだけ。勉強はしなくても、遊ぶことはいっぱい。夏になって学校上がってくるとね、川でもね、みんな泳いだんだよ。今みたいに水着はない。下着に裸だよな。みんな、きゅうりやトマトとかを川に持っていって、川の中にに投げて、泳いでとりにいって、鬼ごっこみたいにして遊んで野菜を友人みんなと一緒に食べた。魚も捕ったりしたよ。




「さんこの宿」のすぐそばに見える景色。粕毛の雄大な田んぼと白神山地が一望できます。



 学校上がってからは遊ぶこともあったけど、よく親の仕事の手伝いもしていた。畑に藁背負って手伝いをしたり、芋ほりをしたり、おうちの仕事を手伝うことが大切だった。わたしたちの小さい頃は、兄弟もいっぱいいるし、畑や田んぼがあるおかげでご飯を食べられていたから、勉強よりも、そこが一番大切なのよ。勉強は次の次の次(笑)。そういう時代だったの。

 昔は子供が、いーっぱい、いた。わたしらの時代は戦争のすぐ後だったから同級生は少ないけど、次の年からは、もう、どんどん増えた。わたしらのときはクラス2つ、わたしらの後はクラスが3つ、4つと増えた。もともと、粕毛にも小学校と中学校があった。その他にも、藤琴小学校、大沢小学校、米田小学校とかって、いっぱい小学校があったんだよ。それがだんだんと少なくなって、合併で小さくなっていって、まあ、ここばっかりじゃなくて、(日本の)どこの地域もそうだと思うよ。合併してからは、大沢小学校、粕毛小学校、藤琴小学校を卒業すると、みんな中学校で一緒になったから、別の村の人のことも、そこで覚えた。

 若い頃は、仕事で藤里町を離れたこともあった。親とかみんな、「あつこがんばれよー」って言うから、素直に「がんばるー」って気持ちで働いた。でも、私が18の時に母親が49歳で亡くなったのよ。お正月の時期だった。それを機に藤里町に戻ってきた。藤里町に戻って来てからはね、いろんな仕事したよ。会社でも10何年と働いた。その後にまた、障碍者施設の世話人として9年ぐらい働いた。それが終わったらね、今度は、農家民宿の仕事がちょこちょこっと、入るようになった。なんとなく仕事だから頑張ってきた。やっぱりな、一生懸命やったんだな。

 お父さん(安保清さん)とお見合いしたのは、私が23の時。お父さんのうち、私の実家から4軒くらい隣、すぐ近くにあったの。住む場所は近かったのだけど、お父さんとは、わたしの6つ年上。お父さんは小さいころから泊まり込みでトタン屋さんの見習いをしていて、家にいなかったから、顔が分からなかったの。藤琴に市川板金ってあって、そこでお父さんは住み込みをしていた。それで、藤里町に帰ってきて、「あらこういう人いであったんだー」っていう風になって、紹介されて、お見合い。




お父さんと仲睦まじく畑仕事に励む敦子さん。「畑は一番の遊び場」と話す、きらきらとした敦子さんの笑顔が印象的でした。



 藤里町に帰ってきた頃は萱屋根からだんだんとトタン屋根になってきている時代だった。だから人からも、トタン屋さんは繁盛して、仕事がいっぱいになるから、結婚しても安心だよって、お父さんのことをすすめてくれて。それに、兄は小さい頃にお父さんと遊んだことがあって、「いい人だから、敦子、一緒になればいいよ」って言ってくれたの。お父さんとの結婚も自然な流れって感じね。結婚式は、ドレスなんか着なくって実家から歩いて嫁ぐだけだった。でも、ちゃんと化粧はしたよ。嫁ぎ先から実家まで歩ける距離だから、毎日実家に戻ってた(笑)。

 子供は男の子三人。いまの人がたらはみんな病院へ走るんだけど、私らの世代はみんな、おうちで出産だわよ。藤原さんていう産婆さんが夜中に走ってきてくれてねえ、みんな取り上げてもらった。出産は、ポンポンポンポン、楽だった。

 下の子はとくに野球がもう大好きでねえ。野球の試合あれば、そっちさあっちさ、私たちも歩いた記憶ある。魚釣りしにいった子もいるし。子供たちはみんな、沢の釣り好きなのよ、な。子供たちだけでけっこう遊んだ。親とかってば、投げっぱなし(笑)。昔のひとは投げっぱなしだよな。自然体で、子供たちは自分らで遊んで、親は親で忙しくして、そういう生活だったなあ。





お父さんの作ったじょうろ。手を使うと頭の健康にいいから、と今でも楽しくトタン屋で学んだ技術を用いて色々なものを手作りしています。


 


-後編〈お客さんを家族のように受け入れる「さんこの宿」〉へ続く-


▽旅する藤里「さんこの宿」後編

https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2568

▽旅する藤里 まとめページへ
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2496






聞き手&書き手:徳広真理恵(とくひろ・まりえ)



藤里町ツーリズム協議会・ツーリズム地域おこし協力隊員。神奈川県川崎市生まれ。マーケティング、広告の仕事に携わってきた。自然豊かな環境を求めて夫、息子の三人で藤里町に移住。旅行と日本酒が好き。炭水化物で一番好きなものは米。




 



知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。

このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。

藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115


*白神山地ふじさとのストーリーが届くフェイスブックはこちらです*
https://www.facebook.com/fujisato.syoukoukankou

  • 登山にスキー、白神山地の散策など
    ほかでは味わえない大自然の遊びがいっぱい!

  • 藤里の澄んだ空と水は感動の美しさ。
    露天風呂や地元の料理を楽しめます。

  • 大量にはない、手ざわり感ある品々。
    豊かな水が生み出す自然の美味しさです。