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<簡体字>
钓瓶落峠
地名意为“吊桶掉落”的钓瓶落峠,横跨青森与秋田两县边界,是落差达200米的险峻山崖。在钓瓶隧道建成之前,旅人只得翻越这段山崖方可通过。
从钓瓶落峠可饱览两种迥异的风景。在阳光照射下,各峡谷东侧的积雪逐渐消融,山坡陆续经受侵蚀,造成中腹的白色凝灰岩(火山岩的一种)山脊裸露而出;而另一侧,日光照射时间较短,雪融速度缓慢,使得更多植物能够扎根生长。坡面覆盖着针叶林及落叶灌木混交林,其中以日本花柏和日本柳杉为主。墨绿的针叶树与暖色调的落叶灌木相映成辉,色彩对比鲜明怡人,令钓瓶落峠成为白神山地数一数二的红叶盛景,而每年的10月中旬至下旬即是最佳观赏季。
峡谷底部,古老的矿山道沿着藤琴川绵延伸展。这里是历史悠久的铜矿产区太良矿山遗迹,开工于17世纪,落成于1958年。钓瓶落峠的交通往来,与矿山物资流通休戚相关,20世纪初期,当地集落曾有900多人居住。
明治初期的1868年,社会动荡不安,钓瓶落峠也成为发生历史事件的舞台。由于津轻藩(今青森县)与久保田藩(今秋田县)关系不睦,而坐落于两藩边界线上的钓瓶落峠又是脆弱的边塞要地,久保田藩便在此部署了数名当地的猎人,通过持续燃烧大量火把,营造出边塞要地有重军把守的气势。
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<日本語仮訳>
釣瓶落峠
釣瓶落峠は、青森県と秋田県の県境にまたがっている。その名前は「釣瓶落とし」を意味し、釣瓶トンネルが建設されるまで、そこを渡る旅人が越えなければならなかった200mの険しい崖を指す。
峠からは2つの異なる風景が見える。それぞれの峡谷の東側では、日光にさらされるにつれて雪解けが進み、山の斜面が次々に侵食され、丘の中腹に横たわる火山岩である凝灰岩の白い尾根がむき出しになる。反対側では、日陰が多く、雪はゆっくりと解け、より多くの植物が根を張ることができる。斜面には、針葉樹林に混じって落葉低木が生えており、それらは主にサワラヒノキ(Chamaecyparispisifera)やスギ(Cryptomeria japonica)である。緑の針葉樹と対照的な落葉低木の暖色により、この峠は白神山地における随一の紅葉の絶景ポイントで、見ごろは例年10月中旬~下旬である。
峡谷のふもとには、藤琴川に沿って古い鉱山道が伸びている。これは、17世紀から1958年まで操業していた歴史ある銅山、太良鉱山の跡地である。釣瓶落峠を通る交通の大部分は、鉱山への物資の往来に関連しており、20世紀初頭には、この集落に900人以上が暮らしていた。
他の歴史的に重要な事柄は、明治時代が始まった1868年、この社会の激変の折に起こった。この峠は、不和の仲であった津軽藩(現在の青森)と久保田藩(現在の秋田)の藩境としては脆弱であった。これを知った久保田藩は、ここに地元のマタギを数名配置した。その任務はたくさんの松明をたき続けることであったが、それは、峠が厳重に見張られているように見せるかけるためであった。