釣瓶落峠(釣瓶落峠)
.jpg/84%E3%80%8C%E9%8C%A6%E7%A7%8B%E3%81%AE%E5%B3%A0%E3%80%8D%E7%B1%B3%E6%A3%AE%E7%94%B1%E4%B8%B8%20(2)__456x320.jpg)
<繁体字>
釣瓶落峠
地名意為「吊桶掉落」的釣瓶落峠,橫跨青森與秋田兩縣之邊境,是落差達200米的險峻山崖。在釣瓶隧道建成以前,旅人不得不翻越這段山崖才可通過。
從釣瓶落峠可看到兩種不同的風景。各峽谷的東側在陽光照射下逐漸融雪,山坡陸續受侵蝕,造成中腹露出白色的凝灰岩(火山岩的一種)山脊。另一側日光照射時間較短,雪融速度緩慢,更多植物因而能夠紮根生長。坡面被針葉林及落葉灌木混交林所覆蓋,其中以日本花柏和日本柳杉為主。綠色的針葉樹與暖色調的落葉灌木形成鮮明對比,編織成色彩柔和的秋季畫卷,讓釣瓶落峠成為白神山地數一數二的紅葉盛景,而每年的最佳觀賞季則是10月中旬至下旬。
峽谷底部,古老的礦山道沿著藤琴川綿延伸展。這裡是歷史悠久的銅礦產區太良礦山遺跡,開工於17世紀,竣工於1958年。釣瓶落峠的大部分交通往來,與礦山物資流通息息相關,20世紀初期,當地集落曾有900多人居住。
明治初期的1868年,是社會激蕩的年份,釣瓶落峠也是歷史事件發生的舞台。津輕藩(今青森縣)與久保田藩(今秋田縣)關係不睦,而坐落於兩藩邊境線上的釣瓶落峠是脆弱的邊塞要地,久保田藩便在此部署了數名當地的獵人,透過不斷燃燒大量火把,營造出邊塞要地重軍把守的氣勢。
---------------------------------
<日本語訳>
釣瓶落峠
釣瓶落峠は、青森県と秋田県の県境にまたがっている。その名前は「釣瓶落とし」を意味し、釣瓶トンネルが建設されるまで、そこを渡る旅人が越えなければならなかった200mの険しい崖を指す。
峠からは2つの異なる風景が見える。それぞれの峡谷の東側では、日光にさらされるにつれて雪解けが進み、山の斜面が次々に侵食され、丘の中腹に横たわる火山岩である凝灰岩の白い尾根がむき出しになる。反対側では、日陰が多く、雪はゆっくりと解け、より多くの植物が根を張ることができる。斜面には、針葉樹林に混じって落葉低木が生えており、それらは主にサワラヒノキ(Chamaecyparispisifera)やスギ(Cryptomeria japonica)である。緑の針葉樹と対照的な落葉低木の暖色により、この峠は白神山地における随一の紅葉の絶景ポイントで、見ごろは例年10月中旬~下旬である。
峡谷のふもとには、藤琴川に沿って古い鉱山道が伸びている。これは、17世紀から1958年まで操業していた歴史ある銅山、太良鉱山の跡地である。釣瓶落峠を通る交通の大部分は、鉱山への物資の往来に関連しており、20世紀初頭には、この集落に900人以上が暮らしていた。
他の歴史的に重要な事柄は、明治時代が始まった1868年、この社会の激変の折に起こった。この峠は、不和の仲であった津軽藩(現在の青森)と久保田藩(現在の秋田)の藩境としては脆弱であった。これを知った久保田藩は、ここに地元のマタギを数名配置した。その任務はたくさんの松明をたき続けることであったが、それは、峠が厳重に見張られているように見せるかけるためであった。