藤琴豐收舞(藤琴豊作踊り)
<繁体字>
藤琴豐收舞
擁有長達400年歷史的傳統舞蹈──藤琴豐收舞,於每年的9月7、8兩日,在藤裡小鎮舉行的藤琴淺間神社祭典上進行表演,表演時間為祭典前夜的宵宮儀式時及祭典當天。主要表演的舞蹈為「駒踊」,場面宏大,氣勢磅礴,以慰藉武將佐竹義宣(1570-1633)受損的自尊心作為情節來源。義宣不僅曾是名門豪族佐竹家的家主,更是大國常磐國(現茨城縣)的領主。1600年,他在與德川家康(1543-1616)相對抗的關原之戰中失利,被貶至遠離權力中心、勢力範圍甚微的「久保田藩(現秋田縣)」。在前往久保田藩的途中,家臣們為義宣表演舞蹈,鼓舞士氣。該舞蹈便成为藤琴豐收舞的雛形。
到了現代,駒踊的舞者們遵循傳統舞蹈動作,展現出戰鬥的恢弘場面。來自小鎮的20多位壯漢,身著武士盔甲般的精緻華服,腰間裝飾形似腰帶的飾物,肩頭佩戴碩大的肩板,宛如策馬揚鞭般瀟灑。舞者在表演舞蹈時,肩板會彈向自己的臉龐。為展現雄壯威武的舞蹈風格,有些舞者極其專注,一天忘我表演下來,耳朵和臉頰甚至皆被拍傷。為此,藤裡町的舞蹈,被認為是秋田最為激烈的駒踊之一。
開場的駒踊過後,便是獅子舞。由3名舞者扮作獅子進行表演。獅子是傳說中的守護獸,而表演獅子舞是日本祭典中的慣例。藤裡獅子舞展現出讓人忍俊不禁的三角戀關係。雄獅(藍衣)與雌獅(紅衣)結伴出遊之時,只見黑獅閃現。黑獅掠奪紅獅為偶,藍獅則苦苦追尋紅獅。藍黑二獅廝打爭鬥,場面激動人心,最終以紅獅回到原伴侶身邊,幸福圓滿地收場。每一位舞者分別扮演一頭獅子,惟妙惟肖地展現嘴部和頭部的動作,在寬鬆的服飾下盡情地躍動身軀。獅子舞結束之後,駒踊的舞者將再次舞動祭典的主舞。
太鼓和笛子演奏者緊跟著舞者們的步伐,為舞蹈所展現的恢弘戰爭場面增添氣勢。舞者們一整天都在小鎮中浩浩蕩蕩地邊舞邊行,最後將在淺間神社為神靈獻舞。
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<日本語訳>
藤琴豊作踊り
藤琴豊作踊りは、過去400年間にわたって、毎年9月7、8日に藤里の町で行われる藤琴浅間神社祭典の宵宮と祭典当日に演じられる。主な踊りである駒踊りは、武将であった佐竹義宣(1570-1633)の傷ついた自尊心を慰めるために演じられたのが始まりであった。義宣は、名門豪族であった佐竹家の長として、かつて大国であった常盤国の領主(現在の茨城県)だった。しかし、1600年の関ヶ原の戦いで徳川家康(1543-1616)と戦い、家康が戦いに勝利すると、義宣は権力の中心から遠く離れたより小さな領地の久保田藩(現在の秋田県)への転封をに命じられた。久保田藩への道中、義宣の家臣らは踊りを演じて義宣の士気を鼓舞しようとした。その踊りが、後に藤琴豊作踊りとなったのである。
現代の踊りの演出では、駒踊りの踊り手は、決められた振り付けで戦いの様子を表現する。町の20人以上の人々が、武士の甲冑のように見える手の込んだ衣装を身に着ける。腰の周りにはベルトのような仕掛けがついており、まるで馬に乗っているかのように見える。肩には、ハネまたはソデと呼ばれる巨大な肩板がついている。踊り手が舞を演じる時、ハネを自分の顔の方向に跳ねさせる。非常に激しく舞う踊り手もおり、一日の終わりには耳や頬に切り傷を負う者もいる。このため、藤里町の踊りは、秋田で最も激しい駒踊りの一つとして認められている。
最初の駒踊りに続いて獅子踊りが演じられる。これは、獅子と呼ばれる様式化されたライオンの格好をした3名の踊り手によって演じられる。獅子は伝説上の守護獣のライオンであり、日本の祭礼において獅子舞は恒例である。藤里で行われる踊りは、恋の三角関係を表現している。雄ライオン(青を着用)と雌ライオン(赤を着用)が一緒に旅しているところに、黒いライオンが突然現れる。黒ライオンは、雌ライオンをパートナーから奪い去り、青ライオンは雌ライオンを探しに行く。青ライオンは黒ライオンと戦い、赤ライオンは元のパートナーのところに戻り幸せになる。一人の踊り手がそれぞれの獅子を操り、口と頭を動かし、ゆったりとした布の衣装の中で体を踊らせる。獅子の踊り手による演目が終了した後、駒踊りの踊り手が再び祭りの中心的な踊りに戻る。
踊り手には太鼓奏者と笛奏者が同行し、踊りが表現している戦場を想像させる音楽を演奏する。踊り手たちは一日中町を踊り歩き、音楽は最後に神様が本殿に入るまでなり続ける。






































