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【特集】旅する藤里 田代食堂「田代秀隆さん」後編

【後編】


 26歳の時に帰郷して「田代食堂」をオープンした田代秀隆(たしろ・ひでたか)さんは、町で取り組み始めたラム肉の商品化に携わったほか、藤里町商工会の会長、藤里開発公社の専務など、町のためにも尽力してきました。今は食堂の親父として穏やかに暮らす田代さんに、これまでの40数年間のこと、藤里町への思い、これからやりたいことについて話を伺いました。




田代食堂の店主・田代秀隆さん






試行錯誤の末、ラム肉に合うタレを開発


 昭和60年ころかな、羊を町で飼い始めたのが。それで、これ何とかなんねえか、っていうことで、いろいろ調理して、羊に合うタレだとかそういうのも作らねばならねえって。

 この店で出しているのは、全部自家製。カレーもルーから作るし、焼肉用のタレ、カツ丼だとか親子丼だとかそういうメニューのタレは、全部自家製なの。調味料は買うよ。醤油買うし、ザラメ買うし、みりんも買うし酒も買うけど、どう調合してどうやればこの味になるかっていうのは、な。そういうことを教えてくれたのが、日本食堂であったの。





取材日の日替わりメニュー「スタミナ丼」。このタレも、もちろん自家製です



 オレが18歳とかで入って、その時40、50、60歳なる人方がいて、煮干しとかつお節と昆布で出汁とって、それで幕の内弁当こしらえたり、だし巻き卵こしらえたり、煮たり焼いたりとかって。秋田駅前で日本食堂のレストランをやっていたから、そこではラーメンの作り方だとか。千差万別にあるわけよ。洋食から和食から全部。その基礎知識を習ったのが、日本食堂。

 ここに来てから、羊に合うタレを、もう何種類作ったか分からねえ。皆さまに喜ばれるタレっていうのを、作ったのよ。それで、「サフォークの館」をオープンして最初の8年は、そのタレで売っていたんだ。毎年、お客さん右肩上がりだったよ。その時は「サフォークの館」の支配人だったから、この店では出さねかった。





平成のはじめ、野球大会や宴会で大にぎわい


 ここ、総合開発センターが建つ前は小学校だったのよ。藤琴小学校。役場はそのまま今の場所にあって、ここが小学校で、体育館があって、三世代交流館のとこはグラウンドだった。オレがここに来たあたりは、職場チームの野球大会、夕方5時になればここで始まるのよ。試合もここでやるし、練習もここでやるの。終われば、そのまんまこの店に来て飲む(笑)。ここで足りねぇば、店の前の池のとこの芝生の上さゴザ敷いて、そこで飲んでた。今、駐車場あるとこは、前は池だったの。池さ、コイもいっぱいいた。店には常に、バットからグローブからスパイクから、ごろごろあったもんだ。忘れて、次の日取りに来たり(笑)




手際良く調理をする秀隆さん。タレの仕込みなど、じっくり時間をかける作業は休日にするのだそう




 「ホテルゆとりあ」が出来る前は、結婚式も、ここの上(総合開発センター2階大ホール)。ワインパーティーとかも全部ここの上。結婚式には手を出さなかったけど、パーティーの仕事はほとんどやった。白神山地ワインが出来て、羊の料理を出して、300人のパーティーを1日2回で、合計600人。大変だったで。買うものも、皿も、莫大(ばくだい)な量だべ。今ならエレベーターついてるから物運んで歩くのも楽になったけども、昔は、食器運ぶにも料理運ぶにも、階段の上り下りを1日に何十回としなければならなかったで。




仲間とイベントを開催。「何やるっても、みんな協力してける」


 帰ってきたあたりは、「こんた田舎なんか、あったもんでねえ」って思っていたけども、イベントやったりいろんなことやった時に、ものすごいみんな協力してけるんだな。何やるっても。音楽祭ひとつやる、スター1人決めるってなれば、交渉ごとに歩いたり、場所見に来てもらったり、どういうステージ立ててとか、そういうやつもみんな、やんねばねぇわけだ。どこに頼んで、誰がどこについて、駐車場守って、って。反省会で一杯やるために、一生懸命みんな協力した。そういう人が、ここの町にはいっぱいいるの。そういう人たちとの付き合いがあったから、オレはここの町が好きになったな。




1994年から10回ほど、秀隆さんが中心となって音楽祭を企画・開催。店内にはゲストの歌手のサイン色紙が飾られています




1999年に柳ジョージ、渡辺真知子を招待して開催した音楽祭。実行委員会メンバーとゲストの集合写真




商工会やら藤里開発公社で忙しかった11年間


 藤里開発公社の前の専務が退職した時に、専務を募集したの。その頃オレは藤里の商工会長もやっていて忙しかったし、関係ねえべって思っていたんだ。平成24年の8月の中ごろだったかな、地元の連中がオレのとこさ来て一週間も通って、「おめも応募せ」って。「商工会長で大変だから、とてもじゃないけどやれねがら」ってしゃべっていたけども、「応募するだけ応募するか」って形で、やったんだ。そうしたら、オレが採用されたの。それで今度は、商工会の緊急理事会を開いて、「ここで辞任させてください」と急展開。




藤里開発公社の専務だった8年間は、食堂の営業をほとんどスタッフに任せっきりだったと話します



 それからの8年は忙しかったな。あっち(開発公社)の仕事が終われば、夜にこっち(店)さ来て一杯飲んで、家さ帰る。開発公社はミネラルウォーターを作る「白神山水の館」あるから、水売り歩かねばねぇべ。東京に営業で行ったり。白神ラムは農畜産物加工センターで商品化して、東京の問屋さんへ物を卸したりだとか。きりたんぽセットも売らねばねかったし。そのほかに、ホテルゆとりあの経営だべ。それから保養館。商工会長の時は、会員の皆さまをなんとして助けたらいいか、開発公社の専務の時は、この会社はどうやったら立ち直るか、それを常に考えながらやっていかねばねかったから、自分のことなんていうのは、考えてる余裕も暇もねえ。




開発公社での任務を終え、「オレの店でラムを売る」



 公社に行って8年もいない間に、常連さんの顔ぶれも皆、変わったな。そしてコロナでまた3年ぐらい、宴会だとかも何にもなかったから。今年はまず、何とかかんとか(どうにかこうにか)、良くなってきてるけどもな。

 2〜3年ぐらい前から、ラム売りたくて始めたんだ。開発公社を退職して3年になるし、オレの店でラム肉を売ろうとしたんだ。そうしたら、店に来てラム食ったお客さんがYouTubeで撮って、その撮った動画を「大変おいしかったです」って上げたのよ。




田代食堂の「白神ラム焼肉」は、特製のタレが藤里町特産ラム肉との相性抜群です




 そうしたらそれ見た人が、あっちこちから、食いにきて。いつもより相当早く3月の15日ごろには1年分のラム肉が無くなったの。毎年9月ころになれば新しいラムが出てくるから、8月ころまで持たせられればいいなと思っていたのに。ところが、お客が岩手からは来るわ、青森からは来るわだべ。わざわざ遠いとこから来てくれたお客さんさ、「品切れでありません」って伝えるのが辛くて辛くて。

 その頃、店のスタッフの都合もあって1年と4カ月、昼間の営業休んだんだよ。夜だけオレ1人でやっていたんだ。その間、ラム肉のおかげで助かった。スタッフも復帰できたから、去年の4月からまた昼の営業を始めたんだ。




一度食べたらリピーターになる「白神ラム焼肉」


 今年は、ラム食いに来るお客さんが来ても、何とかかんとか(どうにかこうにか)続いてる。タレは昭和63年の時から作ったやつに継ぎ足し継ぎ足しで、寝かせてる。熟成させて、自分で作ったタレなんだよ。




「タレは沸騰させないように、殺さないように熟成させてるんだ」と話す秀隆さん



 3〜4年ぐらい前かな。東京のホテルのコック長さん方が、まとまって来てくれて、大野岱[島田1] の放牧場見せたり、農畜産物加工センター見せて、ここで昼飯食ったの。一人で飯3杯も食った人がいたんだ。「ここのタレ、んめ」って、そのコック長に言われたもんな。それから、また自信ついたもんな。

 このラム肉を、せっかく町でも肉質も良くして頑張ってるんで、ここで売りてぇな、と。「ラム肉はここのでねぇば」って、通ってるお客さんもいるんだ。ありがてぇって思うよ。これまで宣伝ってなんもしてこねぇから、一回、宣伝やってみるかなって思ってる。




「40年、生かしてもらってありがたい」



 40何年もここで仕事をさせてもらって、ありがたいなと思ってる。今は人口も少ないけど細々とでもかまわねえ、役に立つことがあればやっていくだけだす。開発公社の専務8年間は、店から離れた時間がやっぱり長かったな。ここに来て飲んでくれるお客さんと、交流がものすごい少なくなったのよ、いっとき。そういうのは、ちょっと悔やみもあるな。まだ、これからでも遅くはねえと思ってるところはあるけれども。

 さまざまな皆さんのお世話になりながら、お世話したりされたり、持ちつ持たれつでここまで生きてきたの。これからも、やれる範囲のことはやっていく。うちの店で食べる味は、どこへ行っても出てこない味だから。頑張って、ラム肉あるうちはやっていきてえなと思ってる。














(後編へ続く)





*旅する藤里 まとめページへ
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2496








聞き手&書き手:島田 真紀子(しまだ・まきこ)




有限会社無明舎出版 勤務を経て、2012年からフリーライターとして雑誌・WEBなどの記事を執筆。
秋田県を中心に、観光・食・子育て・スポーツ・医療などについて発信しています。大館市在住。

 


知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。

このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。

藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115


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    登山にスキー、白神山地の散策など
    ほかでは味わえない大自然の遊びがいっぱい!

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