お知らせ・イベント

  • お知らせ・イベント全体一覧ページを見る
  • お知らせ一覧ページを見る
  • イベント一覧ページを見る

【特集】旅する藤里 「淡路 敬子さん」後編

【後編】






 野球場があることから、藤里町の野球好きが集まることで知られる清水岱地区。その近くに、みそづくりの体験ができる「白神の恵体験工房」があります。これを主宰する淡路敬子さんは、思い立ったらすぐに実行、あきらめない精神で、様々なヒット商品を開発してきました。

 敬子さんに、工房を始めたきっかけ、食へのこだわりなどについて伺った前編に続き、料理が好きになったきっかけ、学生向けの民泊についても伺いました。









弘前大学白神自然研究所が発行する冊子「白神山地で活躍する人々ー産業編」で、みそづくり体験の様子が紹介された。







どこかに行けば、必ず何かをつかんでこようという気持ちで


 ちまきも東京・銀座の催事に行った時に、他県の人が皮に包んで売っていたのを見たのがきっかけで。買って食べてみたら、これなら私にもできるなと思って。確か作り方を取っておいていたなあと思って探したら、30年前のレシピを見つけました。まずはその通りにやってみたら米が柔らかくならなくてね。悩んで何回も試したの。いろいろな経験とレシピがつながる感じ。その時も、はっ!とひらめいて試したら成功したの。

 普通ちまきには豚肉、干しシイタケを使うけれど、昨年のブナの森マラソン(藤里町主催のマラソン大会)で出店した時、ラムちまき、マイタケちまきの2種を出してみたら、マイタケの方が好評でしたね。昨年7月に二ツ井の道の駅にも2種出したら、やっぱりマイタケの方が人気で、そっちからやればいいんだなあと思って、マイタケちまきを週末限定で出すことで落ち着きました。銀座の催事でもちまき2種をその場で温めて出したら、ラムの方が人気でしたけれど。先週道の駅で「週末限定ですか、平日も買えますか」と聞かれてしまいました。寝る時間がないんですよ、って答えましたよ(笑)。

 どこかに行けば、必ず何かをつかんでいこうという気持ちでいますね。それで、思い立ったらすぐにやらないと。そうじゃないとものにならない。昔からそんな性格ですね。ただ、今は町長からもらった宿題をまだやっているの。山菜を使った白神やきそばを、今年の春からのイベントに間に合うようこの2月中になんとかしなきゃと思って。藤里らしい、白神らしい素材や味を追究中です。










お稲荷さんの皮についめた山菜おこわ。材料は、餅米、タケノコ、干しシイタケ、しょう油、砂糖、ワラビ、フキ、ニンジン、塩とシンプル。







町の名物だったドーナツを復活させるまで、様々な苦労が


 私は藤里生まれ、藤里育ち。巻端家出身(現在は大沢在住)。ここから出たことないけれど、すごく楽しいよ。来年の在京藤里会(2年に一度開催する藤里出身者が東京で集う会。幅広い世代が参加する)にも販売ブースを出します。私の同級生も来ますよ。いつも、参加者たちの望郷の念がすごいなあと思う。

 私の知らない人でも、私が大沢だと言うと、本人の実家がない状況でもたくさん話をしてくれるよ。さぶろうドーナツ、みそ、バター餅、ばっけみそ(フキノトウみそ)を持っていくね。みんなドーナツが懐かしいと食べているねえ。

 (一度途絶えてしまった、浅利酒店の隣にあった文房具店の隅で売られていたさぶろうドーナツを)再現してくれないかと、今から6、7年前に浅利さんから話がきたけれど、私はドーナツ食べたことがなかったと言えなくて。どうやって作るのか分からなかったけれど、その年のお盆に浅利さんの娘さんたちが来るから大体の形を作ってみてという感じで。周りからもっと丸型だの、色はもう少し黒かっただの聞いて、完成させるのに秋ごろまで半年かかったな。それから、浅利さんがオリジナルのシールを作ってくれて。

 まず作ってみるのよ。それで、自分が納得するまでやる。さぶろうドーナツは、バター餅を研究していたころと同じくらいに試作を繰り返していたけれど、食べたことがある人に合わせないといけないから大変だったよ。元々のドーナツでも使っていたと浅利さんに聞いていた、中に入っている白あんを製造するあんこ屋さんが鷹巣(北秋田市)にあったんだけれど、そこのご主人が亡くなってしまって……。代わりをどこから買えばいいかと思ったけれど、何とか既製品を見つけることができました。

 でも、最も大変だったのは、油で生地を揚げても形にならなくて、もう駄目だと半ば諦めていたの。浅利さんにごめんなさいと言いかけていたけれど。あきらめきれずにいたら、偶然成功したの。そうだったのかぁ!って感じ(笑)。

 失敗の連続で試食させることもできない状態だったけれど、たまたま成功してこうやって思いが実ってくると、また他にもやりたいとなってね。そして、段々とものが増えてくるんだよなあ(笑)。







再び町内で愛される一品となったさぶろうドーナツ。敬子さんは当時はお菓子作りの経験があまりなく、再現に苦労したそう。





農家の両親の元で育ち、おばあさんの手伝いをする毎日


 昔からレシピの切り抜きをしていたけれど、料理は好きだったのかなあ。レシピそのままを使うというよりは、こういう使い方もできるんだと参考にする感じで。後でやろうと思っていたら、こんな数になってしまった。ちまきを作ろうと思い、そう言えば新聞の切り抜きを取って置いたなあと思って探したら、まさか30年前のものとはね。

 小さい時になんでも手伝わされたの。親は農業をしていたから、自分が朝起きて親が家にいることは滅多になかった。兄弟3人いて、それぞれ役割が決まっていて。私は学校に行く前に、ご飯の支度の手伝い。孫ばあさんはいなくて、その上のばあさんの手伝いをしていました。私が一番小さいから、力仕事よりもおばあさんの手伝いをしたの。それでこいうのが好きになったのかなあ。

 お兄さんはものを運んだり、土間掃除。姉は拭き掃除。私は茶碗を用意したり 、仏さんにご飯あげたり。それをやってからご飯食べて、学校へ行くような子ども時代でした。それで、料理に興味を示していったのかな。何かを見れば「これは!」と思ってとっておこうとするのは、親が「家の光」(農協グループが出版する家庭雑誌)をとっていて、何かを作る人だったからね。それで私も切り抜きするようになって、ファイルが家に10冊も。勉強はしたくないから、逃げ道だったのかも(笑)。

 私の娘は2人とも看護婦で神奈川の横浜に住んでいるの。働いているから、作るよりも買ってくる方。私は忙しすぎて、遊びに来てと言われても行けないの。誰でもいいから親子じゃなくてもいいから、後継いでくれる人がいたら教えていきたいなあ。1週間に1度だけ、人に来てもらって仕事を頼んでいるけれど、一緒に動けるうちに教えないといけないなあと思う。東京ドームのふるさと祭りで、弟子を募集しようかな。







「ちまきの作り方を取っておいたはず!」と探し、出てきたレシピ。なんと30年前のものだった。







役場の臨時職員を25年。いろいろやったことがプラスになる



 加工センターで十数年働く前は、役場の臨時職員で25年も働いていました。輪転機で印刷して、宛名書きばかり。農林課にいたのが長かったから、藤里全域の宛て名書きをしていましたね。もちろん、パソコンもない時代だからね。1週間かかる仕事をなんとか5日でやって、農繁期になると土日は休んで親の田んぼの手伝いをしていました。休みなく働いて、よく死なないで生きているなあと思うよ。

 役場の仕事で、野球大会、ミニバスケットの大会と歩かないといけなかった。懐かしいな。私自身は学生時代にバレーをやっていました。選手にはなれないから最後の方はマネージャーをやりましたね。今までいろいろやったことがプラスになっているなあと思う。これが駄目ならこうしよう、それでも駄目なら仕方ないということを学びました。だから、悩まない。悩む時間もない(笑)。







敬子さんの工房内。ドーナツ、バター餅、ばっけみそなどが置かれ、同時並行でいろんな作業が行われていた。






小学生や高校生を自宅に泊める、民泊も経験


 子どもたちを宿泊させる民泊もやっています。秋田市から小学生4人がケツジョリの大会(藤里町で毎年2月に開催する肥料袋で雪上を滑る大会)で泊まったのが最後かなあ。その前は2011年秋に、公文国際学園の高校2年生12人が修学旅行で来ました。

 同じ秋田の子でも秋田市の小学生は、藤里とは環境が違うみたいで、布団を敷いていたら枕が飛んでくる感じだった。障子に穴を空けても窓は割らないでねーと言ってね(笑)。ああいうことできないんだねえ。

 高校生4人がうちに2泊して、3泊目は全員ホテルに泊まっていました。マレーシアからの留学生も泊まったよ。何でも食べている子たちだからこっちのものを食べさせようと思って、きりたんぽを作って、馬肉を煮て、ミズのがっこ(漬物)、なた漬け(ダイコンのこうじ漬け)を食べさせてね。

 私は工房の仕事で忙しいから、食事の支度を友だちに頼んだら、冷蔵庫に卵が入ってなくて隣りから借りてきてと言われたという話が新鮮で、そのことを報告書に書いていた子どもも。それで、子どもたちにお土産でみそをあげたら、学食のランチで使ってくれたと写真を送ってくれました。







お土産にもらった敬子さんのみそを、学食のメニューで出した時の写真。報告の手紙に添えられていた。





うちに来て6年経った今でも、交流のある子どもがいます


 その中でまだ遊びに来ている女の子がいるの。自分の植えたブナの苗が見たいと言ってね。修学旅行の後3人できて、私は植えた場所を知らなかったから役場の人に案内してもらって、それぞれの名前がついたブナの写真を撮って、みんなに送っていたみたい。その後は二人で来て、今では一人でも来るように。両親は東京、おばあちゃんは千葉の子なんだけれどね。

 高校3年の時には連絡がなかったけれど春になって、「秋田の国際教養大学に入りました。あとで遊びに行きます」ってハガキが来たの。白神に来て、白神が好きになったから、秋田の大学を選んだんだって。一緒に来た同級生でここでの体験で自然に興味を持って、東京大学で専門の勉強をするという子も。教養大に入った女の子はイギリス留学をして、大学を卒業して、今は東京の大学院にいるみたい。もう初めて来てから6年も経っているのに、それでも遊びに来てくれるよ。

 正月に友だち2人で来てくれた年に、寒くて寝られない、具合が悪くなれば大変だと思って、火をたいて寝せたの。「きりたんぽがあれば何にもいらない」言うので、きりたんぽを食べさせた。翌日も「きりたんぽないの?」と聞いてくる。 店では食べられない2日目のきりたんぽ。そういうのがいいんだね。

 昨年の在京藤里会に来てくれて、本当は駒踊りを見たかったんだけれど、用事があって見ないで帰ってしまったから、「9月の藤里の駒踊りに来る?」と誘ったら、来たんだよね。お寺の前といとくの前で見せたよ。今でもつながりがあって、うれしいことだよね。






高校生が民泊した時に作成した報告書と、敬子さんへ宛てられたお礼の手紙。





*旅する藤里 まとめページへ
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2496
















     ライター : 久保田真理(くぼた・まり)
  
   ライフスタイル誌の編集者、オーストラリアでの写真留学を経て、フリーランスとして独立。国内外の取材を通じて、多様な生活や文化の魅力を発信する。秋田市生まれ、茨城・千葉育ち。趣味は、日本酒、トレイルランニング、ソウルミュージックの世界に浸ること。

 


知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。

このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。

藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115


*白神山地ふじさとのストーリーが届くフェイスブックはこちらです*
フォローすると定期的にストーリーが届きます

https://www.facebook.com/fujisato.syoukoukankou/

  • 遊ぶ?イメージ

    遊ぶ?

    登山にスキー、白神山地の散策など
    ほかでは味わえない大自然の遊びがいっぱい!

    楽しい自然体験・観光施設
  • 泊まる?イメージ

    泊まる?

    藤里の澄んだ空と水は感動の美しさ。
    露天風呂や地元の料理を楽しめます。

    風情たっぷり町の御宿
  • 買う?イメージ

    買う?

    大量にはない、手ざわり感ある品々。
    豊かな水が生み出す自然の美味しさです。

    白神の恵みがぎっしり特産品