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【特集】旅する藤里 「ふる里」後編

【後編】







奥の座敷では20名くらいまで受け入れ可能。








 藤里町の中心部、藤琴地区にある居酒屋「ふる里」。店先にかかる赤提灯が目印です。店内には巨人グッツが飾られ、往年のスター写真も貼られています。カウンターのほかにお座敷や小上がりがあり、地元の話し声を聞きながら飲むことができます。

 お店を始めて22年。マスターの伊藤正由さんに、お店を始める前に東京で働いていた時の様子や、東京を離れることになった経緯(前編)に続き、お店を始める時の様子やお店のこだわりなどを伺いました。







秋田県北で食べられる、店の人気メニュー、馬肉の煮つけ。






両親の面倒を見ることになって、藤里に戻ってきた。



 実家の両親が二人きりになって、兄弟誰も面倒を見ることができなくて、末っ子だけれど自分が面倒を見ることになったの。4人いる姉は嫁に行ったし、長男は42歳で亡くなって、次男は養子に行った。伊藤を名乗るのは自分だけになって、東京に居ても40歳を過ぎてくたびれてきたし、田舎に帰っても仕事がない。魚屋しかできないから、帰ってきてすぐに車の免許を取って、たまたま二ツ井のJAのスーパーに電話をかけて聞いたら、募集はしていないけれど魚の部門は人手が足りないからということで、そこで働くことになった。

 魚部門は惣菜も兼ねていて。自分は刺身もつくれるから、葬式があると毎日御膳を70膳とか作ることになって、そうするとスーパーの方が手薄になって。それの繰り返しで、残業も多かったなあ。葬式に間に合わせるように御膳を作らないといけないから、辛かったね。

 「かもや」さん(「かもや食堂」)には、うちのかみさんが務めに行ってた。藤里に来てずっと働いていたね。「ふる里」は能代から来ていた女性が2年くらいやっていたけれど、体を壊してやめるからやってみないかと声をかけられたの。東京にいる時に、果物屋、スナック、居酒屋でもアルバイトをしたから、その時の経験が生かせるなら、と経営については素人だったけれどなんとかなるだろうという気持ちで始めることにした。

 今年で22年かな。1997年(平成9年)8月から始めて、同時期に「花道」も「ラッキー」もスタートして。藤琴(地区)に急に飲み屋が増えたんだよ。










旬なメニューは黒板に書かれている。






居酒屋も昔と今では大分変わってきた。


 子供の頃は藤里も人が多くて、飲み屋もいっぱいあった 昭和30年代は素波里ダムの工事関係で賑わっていた。でも、工事が終わって、店がなくなって。なんで継続できなかったのか不思議でしょうがない。派手にお金が入れば、派手に使ったんだろうね。

 店の名前の由来はね、店の前の名前が「ふる里」で、名前はなじみがあって覚えやすいだろうし、新しい看板に付け替えることもないかとなって、そのまま使うことにしたの。見切り発車でね。かみさんの協力もあったし、遊んでいるわけにはいかないから、不安以上にやらないといけない気持ちだった。お袋を泣かせるわけにはいかないし、なんとかここで食べていかないといけないって気持ちだったな。

 これならいけるんじゃないかと思って、メニューを決めた。最初はお客さんが来るとドキドキしたよ(笑)。マンネリ化してくると意欲がなくなってくるので、新しいのを取り入れたい気持ちもあるけれど、業者さんとの取引も考えないといけないしね。

 新しい商品を取ってみて、お客さんの評判が良ければいいけれど、いまいちだと切ってしまう。常にものを買ってお金を動かしていないといけないから、お金は貯まらないの。だからやっぱり怖さはある。今でも、今日はお客さんが来るか来ないか不安になる。宝くじが当たったらいいなと思うけれど、「買わないから当たらない」とかみさんに言われる(笑)。

 でも出してくれと言われるから刺身だけ変わらずやっているよ。カミさんは、「かもや」の経験を生かして揚げ物などをやってくれる。飲み物も、新しいものを入れてみたりして多種多様。10人お客さんが来たら10人違うから、対応が大変(笑)。昔は瓶ビールをボンボンボンと置いて、おしまいだったから。頼む方はいいよなあ。まあ、楽しさもあるよ。

 肉鍋は「かもや」でやっていた味付けでやっているの。かもやがなくなって、食べたいって人が多いんだね。宴会があると肉鍋のリクエストが多いね。この間も大沢(地区)の消防団の人たちが初めて食べたら、「この鍋はうまいなあ」って鍋を傾けてつゆまで食べていった。何か珍しいメニューが出せたらなあと思うけれど、何でもある時代だから難しい。変に創作してもねえ。







名作戦隊シリーズ、ゴーグルファイブに出演していた。






昔から山が好きで、山菜を採りに行く。


 昔はご馳走が食べられるのは、盆と正月だったけれど、今は毎日何でも食べられる時代。店の名前が「ふる里」だから、山菜料理を提供したい気持ちがある。地元の人は食べる気になればいつでも食べられるけれど、都会の人からは魅力だと思う。

 斎藤栄作美さん(地元ガイド)が京都から山のお客さんを10人くらい連れてきた時には、すごく喜んでいたよ。「京都は見栄えがいいけれど、味は田舎料理の方がうまい」って。山菜はキノコ、ミズ、タケノコを出した。山菜はその時のタイミングによるからねえ。やっぱりタケノコ汁がおすすめだね。

 あと、馬肉も喜んでもらった。馬肉と言えば、馬刺しのイメージが強いみたいで、馬肉の煮付けを出したら、東京、大阪からのお客さんにも喜んでもらえたね。お土産に持っていきたいという人もいたよ。

 前は山菜を塩蔵していたし、タケノコは缶詰もあるから出すこともできる。でも、いきなり来ても山菜の塩抜きをしないと食べられないので、前もって来ることが分かれば山菜を出せるのになあと思うね。

 山が好きだから、自分が採ってきたミズ、コシアブラ、ワラビをサービスで出すこともある。みんな喜んでくれるね。山に行けばいっぱいあるのに、みんな採りに行かないで、もらうと喜ぶんだよね。山菜は日持ちがしないから、お店で食べてもらえればまた採りに行けるでしょう。

 常連さんと話したけれど、山菜採りをする人が高齢化して、亡くなる人も多いでしょう。山を覚えている人がいなくってしまう。教えてくれる人でいれば場所を聞いたり、一緒に行けばいい。親子関係などあれば教えてもらえるでしょう。

 山には、小さい頃にお小遣い稼ぎで行っていたの。下町の村岡プロパンさんが、昔みそ、しょう油も売っていて、山菜の塩蔵したのも売っていた。だから、山菜ひと束50円で買ってくれた。学校が終わってから友達同士で一輪車持って山奥まで採りに行って、みんなでお金を分けたの。

 山は新しい場所に行ってみると、また発見がある。昔から面白かったよ。以前は入って行けないところだったけれど、最近は林業会社が作業道を造ってくれて、相当上まで上がって行けるようになったところもあって、「あそこですごくいいのが採れるよ」とか、「クマが目の前を通るから今は来ない方がいいよ」と教えてくれる。

 奥に行ったらすごく太いワラビ、シドケもある。11時になると2時間くらい、ちょこっと山に行ってくる。お昼のサイレンの音が届く里山だから、聞こえればあと少し動けばいいなと分かる。採ってきたものは、だいたい人にあげてしまうね。ミズは皮をむいて、ワラビは一晩アク抜きして。ゼンマイはね、干したり揉んだり大変で、仕事をしていてはできないね。

 俺の住んでいる寺沢(地区)の奥も田んぼが減ってきた。昔は食べるのに必死で米を作って、陸稲で山の上でも田んぼを作っていた時代もあったんだよ。今は機械が入らないとか条件が悪いところでは作らなくなった。親は子供に農業ではなくて今の仕事に就かせたい思いもあって、コメ農家でも後継者いないところは田んぼを返してしまうよね。








山菜シーズンにカウンターに座るとお裾分けをいただけるかも。





同じ藤里にいても、今と昔では子供の遊び方が違う。


 海釣りでもマスなどの渓流釣りでも、釣るのは好きだけれどさばけない地元の人から、釣った魚を持ってきてもいいかと相談を受けるよ。「食べる分を焼いてくれ。あとはマスターにあげる」って言われることも。刺身にして持たせたり、宴会に出したり。煮るか、焼くか、刺身かにして。いつも同じ食べ方ではなくて、ムニエルにすることも。

 昔は一人で飲みに歩く人がいたけれど、今は団体とか友達グループで来ることが多くなった。一人で飲みに来ていた人は亡くなってしまって、さみしい思いがあるね。あとは、帰省した同級生を集めて8月15日や1月1日に集まっていた人たちも。今はみんな結婚して子供ができて、なかなか集まらなくなったみたいだけれど。

 この前も12月31日の夜に、よく使ってくれる人のお母さんから電話があって、元旦の日はどうかと聞かれたけれど、「元旦は休ませて」と断ってしまった。商売人としては断るのは勇気がいるけれど、段々と無理がきかなくなってきてね。休みの日でも買い物していると携帯に電話が入って、若い時は戻って店を開けていたこともあったけれど、無理しないで休みたい時に休んで、息長くやれた方がいいかなあという思いに変わってきたよ。

 お店には若い人も年配者も来て、よく昔の話をするけれど、同じ育った場所でも時代によって違う感覚になるものなんだなあと思う。昔は夏休みになると山や川で遊んで、監視員の役割の人がサイレンと浮き輪を持ってくるんだけれど、自分のことをするのも大変そうな年配者が監視係だったりしてね。

 今は責任をどうするのかとか厳しいから、子供たちは田舎に生まれても田舎の経験ができない。生活そのものが都会的な感覚になって、郷土愛が芽生えないのかなと心配になるね。東京に何年いても田舎に帰った方がいいなあと思っていたのは、小さい頃の経験があって、故郷への思いが強かったから。勉強嫌いで山や川で遊んでいた方が良かったからね。

 自分の子供たちに言ったら古いと言われそうだけれどね。子供は2人いて、男女一人ずつ。二人とも向こうに家を建てているけれど、埼玉の秩父の方だから藤琴に似たところもあるね。年金だけで生活できる人であれば、田舎に来てもいいのにと思うけれど、雪がネックになるのかな。遊びならいいけれどね。冬は神奈川に住んで、それ以外はここで過ごす友人 もいるよ。







ふる里の裏を流れる藤琴川。







お店ではお客さんと話をして、家では映画鑑賞をして。


 赤ちょうちんは、安くて安心のイメージがあるみたいだね。あとは、若い人でも年配者でも奥の部屋に座敷があるから、来やすい雰囲気なのかな。年配者でも安心して、落ち着いて飲めるからね。商売は20年以上やっても、不安な気持ちはなかなかなくならないね。にぎわった日があると思えば、一人も来ない日もあって、誰も来なくなるのかなあと不安になったりね。

 団体が重なってしまうと断ることもある。商売はそれが読めないものだけれど、そうやって危機感があるとハングリー精神が芽生えていいのかなとも思う。やり方がまずかったかなとか考えることもあるし、たまたま飲む機会がなかったからかなと能天気に思うこともある。

 2、3つ団体が入ると大変な思いをするけれど、やっぱりお客さんが来てくれて、美味しかったと言って満足して帰ってくれるとうれしいね。子供たちのスポーツの後の集まりなどで、親たちが使ってくれることも。娯楽が少ない藤里だから、なんとか商売ができる。

 常にお客さんと話をする仕事でしょう。だから、休みの日はパチンコで黙々と自分の世界を作っているよ。あと休みでなくても、映画は1日1本は観たいね。NHK-BSは毎日13時から映画を放送するから、観たことがない映画は録画して休みや昼の時間に観るようにしているよ。ツタヤなどで探してみることもある。

 やっぱり映画はいいね。もっといい画面、70インチ以上8Kで観たくなったけれど、それを居間に入れるには2階に上がる階段を切らないといけないよとなってね(笑)。目標があると、「頑張るかー!」という気持ちなる。商売人は貧乏の方がいいよ、頑張るから。好きな映画は、「ベンハー」「十戒」などの史劇とか、迫力がある「タイタニック」とか、映像がきれいな「アバター」とか。超大作となると、4時間半にもなったりするけれど、時間を忘れて見入ってしまうね。町の映画好きを誘って、飲みながら映画を観たいと話してはいるのだけれど、なかなか時間が合わなくてね。








自家製ギョーザの味の決め手は企業秘密。







思っていることを話せる居酒屋はいい


 人が減ってこれから大変な時代になる。藤里の「菊池精肉店」も「トレビアン食堂」も閉まってしまい、町を人が歩いていないと閉塞感が出てくるように思う。馬肉を肉屋さんから仕入れることができなくなったから、二ツ井の肉屋に頼みに行ったよ。あとは、「いとく」(藤琴にあるスーパー)がなくなったらどうしよう、子供の同級生が少なくなったらスポーツのチームもできなくなる、病院がないと大変という高齢者もいる。

 藤里の外に出ている若い人からは、親がいるから町に戻りたいけれど仕事があればなあという声が聞こえてくる。昔は集団就職で都会に憧れがあったけれど、今の子たちで都会に出ても何年かして田舎に戻りたい。それに越したことはないよね。

 そういう話題も多くなってきた。それぞれの思っていることを話せる居酒屋は、いいところかもしれないと思う。話したいからカウンターでというお客さんもいて、話に巻き込まれるのも面白いなあと思うよ。

 この町は、人間関係が狭いだけ分、秩序を持てる人でなければ後ろ指を指されたりすることもある。都会なら一見さんみたいな感じで済まされるけれど、田舎はそれだけの振る舞いをしないとダメなの。でも、店で何かあっても、お店の鉄則として他の人に言わないけれど。

 長く生きていれば人間どこかではめを外すこともあるし、どこかで人が変わることもある。 ある程度の年齢になると、もめごとを起こす気持ちにならなくなるけど。昔はケンカをすることもあった。本当に突き放したらお客さんも分かるけれど、そうではない塩梅で言うから、本人は「二度と来ない」って言っておきながら、なんだかんだでまた来るんだよね。











〆の細麺のラーメンやスパゲティも人気。







*旅する藤里 まとめページへ
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2496















     ライター : 久保田真理(くぼた・まり)
  
   ライフスタイル誌の編集者、オーストラリアでの写真留学を経て、フリーランスとして独立。国内外の取材を通じて、多様な生活や文化の魅力を発信する。秋田市生まれ、茨城・千葉育ち。趣味は、日本酒、トレイルランニング、ソウルミュージックの世界に浸ること。

 


知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。

このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。

藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115


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    登山にスキー、白神山地の散策など
    ほかでは味わえない大自然の遊びがいっぱい!

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    藤里の澄んだ空と水は感動の美しさ。
    露天風呂や地元の料理を楽しめます。

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