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【特集】旅する藤里 白神木工房「中嶋 英雄さん」前編

【前編】



白神山地森のえきで販売されているブナ材を使った箸





白神山地森のえきを訪れると目にする木工品があります。小さい頃から工作が大好きで、大工になるのが夢だった英雄さんの作品です。藤里町のあちらこちらに英雄さんが建築士・大工として関わった家や建物があります。一方で、多趣味な英雄さん。好きなことをしながら生き生きと元気に過ごす中嶋英雄さんに話を伺いました。








工務店の事務所で








 
英雄少年の夢が叶うまで


英雄さん:
生まれは昭和24年の3月6日。 生まれた時からずっとここ(藤里町の出戸小比内)に住んでいた。藤里町には74年ずっと住んでいる。実家があったのはすぐそこのとこさ。すぐ隣から、今の家に引越してきた。3人兄弟の長男で、2つ下の妹と5つ下の弟がいた。

小さい頃は近所の子供と一緒に遊んだ。小学校は藤琴小学校。徒歩で30分くらいかけて通学した。同学年は30人くらいだったんじゃねえかなあ。近くには同級生が3人。全校生徒では300人~400人くらいはいたのかな。学校帰りは川遊びをよくやったな、魚を釣ったり。小さい頃から釣りが好き。

中学校は藤琴中学校。中学校の頃は朝早く親の手伝いをしてから、学校にいってな。草刈りした草を干すんだもんなあ、その干した草を今度あのリヤカーに積んでそれを引っ張って山から下ろしてくんのよ。草は家畜の餌。農業に使うための馬と牛と一緒に暮らしていた。その時代は、まだあまり耕運機がねがったな。小学校5、6年くらいのときに耕運機が登場した。当時、実家で育てていた農作物は、全部イネ(米)。ここ(事務所)も田んぼだったんだで。

中学卒業して高校さ、行かなかった。定時制に通った。昼は町の斉藤工務店さんに弟子入りして、お世話になって4年そこで見習いをした。定時制高校は、今の「こみっと」があるあたり、藤里保育園の近く、消防署の車庫が建っているところ。あそこが中学校の一画だったの。で、その中学校が夜になれば定時制の高校になっていた。学校は昼いかないで夜に勉強。弟子入りした斉藤工務店の場所は、「土佐プロパン」のある3軒ぐらい隣のところ。斉藤工務店は、今はない。20年前くらいに閉まった。今は家が建っている。

 小さい頃から作るのが好きで、大工になりたかった。親父が山から切ってきた木だったり、木材を工作に使ってなんもなぐなっちゃったこともある。鉄砲作ったり、ハンドルのついたそり作ったり、みんなで本箱も作ったな。あと、鳥かごとかな。箱作って、竹ひごつけて、鳥を入れられるようにね。

だから弟子入り時代は楽しかったよなあ。親にも知らせず、就職の専門の先生いであったから、その先生さ頼んで斉藤工務店いって弟子入りのお願いしてくださいって、こっちから頼んで。で、工務店への挨拶に親が全然こねえから、工務店のお母さんが仕方ねえからうちにきたら、なんも親さ知らなかったって(笑)。親もびっくりだべな。弟子入りした後、実家に戻ることはねがったな、ほとんどな。

工務店では7つ上の兄弟子、2つ下の弟弟子の3人で見習いをしていた。でも兄弟子って言っても、兄弟子は弟子終わって、職人なってやったな。

給料は1か月3000円くらい。1年ごとに4000円、5000円、6000円って上がっていく。4年いたったから、最後6000円。当時の3000円は、いまでいうとなんぼだべな、数万円くらいかな。初めての給料うれしかったな。初めての給料では金槌買ってきた。斉藤工務店での見習い後も1年か2年くらいは師匠んとこ行ってたな。












丸太を引く英雄さん





職人として一人前になってからのこと



英雄さん:
初めての仕事は23歳の時。最初は自分のうちを建てたんだよな、借金背負って。3年くらいは完成にかかった。昭和47年に建てて平成12年に火事になった。だから新しいうちさ建てて、そっちも田んぼだったんだけども、小屋も火事になったから、田んぼつぶして作業場作った。結婚したのは、俺が24でこっち(妻の厚子さん)が20歳かな。知り合って1年くらいで結婚。

妻の厚子さん:
いやあ、知り合って1年目ではねえけどもな。

3年くらいで結婚。高校終わって電話交換手行ってる時に知り合って。二ツ井の集落の電話の交換手やっていたとき。藤里との郵便局に電話で繋がると、この人の友達が郵便局にいでやって、繋がるわけさ。なんで、「俺の友達同級生紹介するから」と電話繋いでる時に言われて。だけど、こっちの人は、出稼ぎとかにも行ってあったから、会うのはなかなか大変、1年も会わなかったった。電話でだけでやりとり。いずれあの去年金婚式をしました(笑)

結婚の時にはまだ家ができてなくて、結婚式の時にはまだ壁が濡れてる状態。昔は私もうちの親族と実家で結婚式やって、同じ日にこっちに送られてきて、こっちのうち(英雄さんの自宅)で嫁ぎ先の親族とまた結婚式。荷物運ぶ人とか、あと、仲人にあたる人とかが一緒に藤里町まで車で送ってきて。まず、親族の人方が何人かそうやってお送り人みたいにして送ってきて、嫁ぎ先で「座配人」といって 座を采配するという意味なんだけど、こっちの言葉で、「じゃへじゃへ」って言うんだけど、あの要するに今で言う司会役よ。その「じゃへじゃへ」から一言みたいのもあったかな。ただ、あっちさ(厚子さんの実家)は座配人いねがった。だって、私はただあっち(実家)でまず、まかなって、親族さ、まず嫁入りの衣装こう、着替えた状態見てもらって。

英雄さん:
お別れ会みたいなもんだべ。

厚子さん:
うん、それからこっち(英雄さんの実家)で披露宴。ようやくこう2人一緒になって。うち(厚子さんの実家)から出てくる時はちょっと泣いたかな。披露宴では、三々九度には嫁ぎ先の小学生がお酒をでつんでくれて。いまでいう小さい女の子と男の子が花っこわたすみたいな。

英雄さん:
で、結婚して、お袋、親父と弟と、(それに厚子さんも入って)5人で新しい家で暮らしていた。子供は2人生まれた。男2人。2人とも今は建築の仕事をしている。後を継げと言ったことはなかったが、2人ともいつのまにか建築の道に進んでいた。

仕事で今まで建てた家・建物は150くらいある。当時、家を建てるときは専属の大工いであったから、7人~8人くらいで建てることが多かった。設計から大体3ヶ月で建つかなあ。設計から施工まで全部やる。藤里町内にも、秋田にも弘前にも建てたことがある。弘前に建てた家は三角の屋根で特徴的、当時新聞さ載ったんだべな。その新聞の記事、写真載ったやつ送られてきた。30代の頃かな。

この町の役場で建てた建物も請け負ったことがある。スキー場のハウスだべ、それから幼稚園、それからあの粕毛の集会所。大沢の交流センターもだし、役場の第二庁舎、アルビオンさんの白神研究所、藤里保育園、こみっとのくまげら館、藤里商工会議所、米田の幼稚園など。

仕事で大変なことってあんまりねえよなあ、大変だと思わねえもんな。大変だと思ったことねえ。大変だって言えば仕事になんねえもん。楽しいときは、完成した家を眺めているときかなあ。木をいっぱい使った家は理想的だな









英雄さんと妻の厚子さん







(後編へ続く)




*旅する藤里 まとめページへ
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2496











聞き手&書き手:徳広真理恵(とくひろ・まりえ)



藤里町ツーリズム協議会・ツーリズム地域おこし協力隊員。神奈川県川崎市生まれ。マーケティング、広告の仕事に携わってきた。自然豊かな環境を求めて夫、息子の三人で藤里町に移住。旅行と日本酒が好き。炭水化物で一番好きなものは米。

 


知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。

このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。

藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115


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    登山にスキー、白神山地の散策など
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