山菜採りは楽しみって言えばいいのかな
名人:市川 和安(いちかわ かずやす) 秋田県山本郡藤里町
聞き手:佐藤 聖(さとう ひじり) 山形県立村山産業高等学校 1年

【前編】
1.自己紹介
市川和安。66歳。昭和34年1月31日生まれ。兄弟は姉が2人居て、俺は一番下の長男。昭和60年に結婚して子供は二人いる。今は女房と長男とその嫁と、女の子の孫一人と同居しています。職業は火葬。能代市二ツ井町(ふたついまち)と藤里町の亡くなった人を火葬する、そういう仕事です。それに付随して、町の不法投棄の監視をしています。元々は自分たちが食べる分の山菜を採っていたんだけど、町に産直ができた。そこの会員になってから売るために山菜を採るようになったって言った方が正解。子供の頃の家が、ずうっと山奥でバスの終点から2キロぐらい山の中だった。もう店も何もないようなとこだったんで、小学生の頃はね、山の中で山ぶどう採ったり、野いちご採ったりしてた。その頃から釣りは好きだったからね、毛バリを自分たちで作って釣ってた。釣り針にキジの羽根刺したのを投げただけで岩魚(いわな)が釣れたんだよ。高校は二ツ井高校の普通科に進学した。そこは無くなって今は能代高校分校になっている。そして高校卒業してすぐ就職したの。
2.今の職業に就いた理由
うちらが高校卒業する頃に、(二ツ井町に)東京の靴屋の秋田工場があったんだよ。そこの本社に勤めてた。その工場は縫製だけやってたんだよ。靴の上(足の甲に当たる部分)、紐が付いてる上の方だけ。それを一つの商品になるようにする部門。その部門を秋田工場に持ってくるために東京にいた。東京には7年半いて帰ってきて、そのときの第一陣(が自分)で秋田工場には3年間いた。期間要員としてテストするためにね。現場に何年かいたんだけど、材料揃えたりする生産管理の方行って、現場から離れた。それから、いろいろあってそこの会社は辞めた。
そこを辞めてから味噌屋に勤めてた。先に同じ会社辞めちゃった女の子がそこに居て、人足りないから来てって言われて勤めていた。半年いたんだけど、結局辞めたんだよな。辞めて、1年遊んだよな。プラプラしてそれから今の仕事に就いてる。たまたまやらないかって声掛けられて行政一部事務組合っていう組織に入ったの。それからずっと今の仕事。それが平成8年だから、もう29年もなるな。俺が一部事務組合に入った時は消防とごみ焼却場が一緒の一部事務組合で、ごみ焼却場の管轄の中に火葬場があった。小泉純一郎が首相のときに、ごみ焼却場を統合させられたんだよね。小さいごみ焼却場には補助金出さないってことで藤里のごみ焼却場を無くしたの。そのあと能代山本郡の一部事務組合として一か所に集めて、広域消防本部とごみ施設で二つに分けられた。ただ、火葬場だけ残ってしまったから、どうしますかってことで私が引き受けて独立した。
で独立したときに役場のある人から不法投棄の監視しないかっていうことで不法投棄の監視も始めた。これまで一人でやってたんだけど、今は火葬場を別の会社が運営してる。俺はそこの社員になった。でもやっていることは昔と同じ。藤里に産直ができた頃、親父とお袋が本わさびの栽培をやっていて、わさび組合の組合員だった。それで組合員として産直にわさびを卸していて、うちの女房も手芸品を産直に出していたんだよ。それから会員になったの。それをやっている間に山菜がほしいとかっていう話になって、じゃあ山菜もってことで今に至る。昔はね、山菜なんて自分が食う分しか採ってこなかった。タケノコ(ネマガリタケ)採りなんて大嫌いだった。
3.子供の頃からの山菜との関わり
タケノコってね皮剥いて、節取って、食べれるようにしたら、3分の1しか残らないんだよ。極端な言い方だけどね、つらい思いして採ってきても3分の1しか残らない。だからね、そんなバカくさいことなんて絶対いやだって思っていたんだけど、なぜかしらこうなっちゃった。結局、山菜採ってきて喜ばれるっていう一つの喜びもあったのかな。
俺が小学生の頃、(山菜)業者が樽と塩置いていって、採ったワラビを塩漬けにしていた。自分たちで計って、1キロが何円で今日は何キロ漬けましたって帳簿につけていたんだよ。2週間に1回かな、業者が取りに来るんだよね。それは良い稼ぎになった。小学校のときだから56年も前の話だな。床屋だってその頃200円か300円だったからね。だから良いところ1キロ当たり200円、300円じゃない。行っても500円しなかったと思うな。
山菜採りは生きがいっていうわけじゃないんだけど、楽しみって言えばいいのかな。時期になるとタケノコ採り行ったり、山菜採りしたり、キノコ採ったり。紅葉の時期なんてすごいきれいだよ。だから秋は最高。キノコ採るときにも見れるからね。春は新緑できれいなんだよな。山菜採る楽しみもそうだけど、そうやって歩いているといろんな景色見るのも楽しめるから、良いよ。

秋の鶴瓶落峠(つるべおとしとうげ)。良い景色を見ながらの山菜採り
4.山菜の今と昔
この辺はもう、昔は7月の中頃だとか下旬頃までタケノコが採れてたんだけど、やっぱり暖冬になってきてるから、雪解けが早いんだよね。だからタケノコはね長くても6月いっぱいまでがね限界。タケノコだけじゃなくて、他の山菜もそうなんだけど、あったかいのと雨降るのとで一気に伸びるからね。遅く生えたから、遅くまで生えてるかってそうじゃないんだよ。早く出ても遅く出ても、ケツ(山菜が終わる時期)は大体同じ。余程雪が残っているところは別だけど、ほとんどケツは変わらない。俺は一年に一回絶対採らないようにしてるところがある。毎年採りに行くと、ミズなんかはだんだん細くなって太いの出てこなくなるから休ませるようにしてるんだ。見に行くと他の人に全部採られて無くなってんだよ。だから、そういうことが今できなくなってきてる。あまり人が行かなくて、自分しか知らない秘密の場所みたいなところも昔はあったから、いくらでも採れたんだけど今ダメね。みんな山菜採りに山に入ってきて。

市川さんが山菜を採りに行くときの格好
5.不思議な山菜、タラの芽
タラの木はね、スギの木を間伐したり、スギを伐採すると増えるんだよ。もともとタラの木が無いところでも1年か2年すると生えてくる。タラの木はね、折れると死んじゃうけど、ナタだとかでスパッと切るとね、死なないんだ。全部が全部ではないけど、ほとんど生きてる。ただ、ノコ(ノコギリ)で切るのはダメ。届かなくてタラの木を倒したことあるんだよ。そのとき、ナタで切ったのとノコで切ったのとでは、ノコで切ったのは死んじゃった。ナタで切ったのは生きてた。切り口は関係なくて、切る場所が重要だと思う。木には芽が出ているところがあるの。そこ残さないと死んじゃう。その芽がちゃんと出てくるような形で、その上の方を切るようにしないとダメ。どこでもいいって訳じゃない。折ったらダメだよ。折ったら間違いなく死ぬから。スギを植樹したら、木の周りをある程度草刈機で下刈りするじゃん。そしたらタラの木も全部倒しちゃうんだよね。でもね、タラの芽は出てくるんだよね。だから草刈機で刈っても大丈夫だと思う。全部じゃないけど、かなりの確率で出てくる。なんでだかわかんないんだけど、なぜかしらそう。

昨年、自分が採ったタラの芽(左)とワラビ(右)
6.普段採っている山菜
雪解けて一番先に採るのがフキノトウ。頼まれない限りはフキノトウは採らないけどね。その次がアザミ。アザミって食べれないアザミと食べれるアザミがある。食べれるのはねえ、いろいろあるんだよ。紫っぽいのもあるし、青いのとか。アザミはアクが強いから肉料理だとかおつゆにして食べたらおいしい。フキノトウの次がアザミでしょ、その次がボンナ、ウド、シドケ、って来るのかな。シドケって山菜の王様。山菜の女王はコシアブラ。あんまり俺ってコシアブラ食べないんだけど、採るのは採るよ。売れるから。タラの芽の次に採るのがコシアブラ。あとはワラビとゼンマイ。そのくらいかな。
あまり売れないのは基本的に採らないからね。だから最近ミズも採らないんだよね。いっぱい背負ってきた割には儲からないから。逆にミズの子を採ってる。ミズの先っちょに玉っ子つくじゃん。あれは売れるから採ってる。ミズの子の一番良い食い方は漬物。ないしは、ミズたたきってあるじゃん。ミズたたいてトロトロにしたやつ。ミズの子は粘り気があるから、あれにミズの子を叩いて潰して入れたりする。なんでか知らないけど、ミズって赤くないと粘らないんだよね。

ミズの子。赤ミズにこのような玉が付く
7.ミズについて
ミズには玉のつかないやつっていうのがある。茎が赤いミズ(赤ミズ)と、玉が付くミズと、青くて全く玉の付かないミズ(青ミズ)がある。青ミズって赤ミズの葉っぱに似ているけど、玉が付かないんだ。長さも赤ミズの半分ぐらいしか伸びない。だから、滅多にない。ただ、味は大して変わんないと思う。俺はミズの子は採りに行くけど、ミズはほとんど採らない。自分で食べる分は採るけど。他の人出しているから売らない。あまり競争しないようにしてる。自分で食べる分はね割と細いの採ってくるんだよ。売るのは太いの、食べるのは細いの。太いのって見た目も良いし、食感も良いんだけど、なかなか味染みんないんだよね。逆に細いのだったら一夜漬けにもできるし、すぐ食べれるから細い方がずっと良い。だから、どちらかといえば細いのを採る。あんまり細いのは採らないけどもね。売り物はちゃんとした太いやつ。基本的に自分が買わないような物は売らないから。

赤ミズ。白い点のようなものが芽。正式名称はウワバミソウ

青ミズ。赤ミズとは葉が異なる。正式名称はヤマトキホコリ
【取材日:2025年9月11日、10月20日】
【名人プロフィール】

氏 名:市川和安
ふりがな:いちかわ かずやす
生年月日:昭和34年1月31日
年 齢:67歳
職 業:火葬場運営、不法投棄監視、山菜採り
略 歴:高校卒業後、上京して靴職人として7年半働く。秋田に戻ってからは工場に勤めたのちに、二ツ井町藤里町衛生事業処理一部事務組合に入る。その後独立し、火葬場の委託管理、不法投棄の監視を行っている。両親や妻が産直の会員になったのを機に、自らも産直の会員となり山菜を出荷するようになった。春は山菜、秋はキノコと季節に応じて様々な山の恵みを産直に出荷している。
(後編へ続く)
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このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。
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