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【特集】旅する藤里 「淡路敬子」聞き書き甲子園 後編

大豆と米と母の教え


名人:淡路 敬子(あわじ けいこ) 秋田県山本郡藤里町
高校生:海老名 祐依(えびな ゆい) 福島県立福島南高等学校2年

 






【後編】


母の教え
 

母から教えられたのは、
1.1回作ってダメなものはチェックしておく。
2.道具は大事に使う。高いもんだから、すぐ壊したら、投資ばっかりで残らないから丁寧に使う。
3.とにかくメモる。
っていうのは言われた。

 

商品化するまで
 

自分で食べてみて、他の人に食べてもらって、「これがいいや、長持ちするや」ってなれば、まず作ってみる。それで、商品化してみる。
 

販売している商品の種類
 

 味噌も入れて、山菜おこわ、味噌つけたんぽ(大・小)、味噌つけだまっこ、バター餅(大・小)があずきと抹茶とくるみ、ドーナツ。ご飯ものは、こはぜご飯。なんでもあるぞー!



販売している商品




下準備が終わった下準備った味噌つけたんぽ




味噌つけたんぽを作っている淡路さん




バター餅
 
 本当は、自然解凍すればふわっふわっになるんだけど、餅を切る時点で硬くて切れなかったら失敗。硬くなるのはなぜかって考えた。母の蒸しものを手伝った時に、「普通食べる方のご飯の水はただじゃーっと水入れて浸水して釜に入れるときにちゃんと洗えば大丈夫。けど、もち米は水いれただけではダメだよ」と言われたことを思い出しました。もち米だけは丁寧に白い濁り水が無くなるまで洗ってなげる。それを守らないと硬い餅ができる。そういうのを色々失敗している。
 

さぶろうドーナツ
 
 本名は浅利栄さん。ニックネームで「三郎」と呼ばれていたそうです。さぶろうドーナツは昭和30年代から60年代にかけて「さぶろうの店」と呼ばれていた浅利文具の名物ドーナツとして1個10円で売られていた。

 私が再現したのが、さぶろうさんが亡くなった20年後。わたしがなんでやることになったのかってば、浅利(あさり)美津子(みつこ)さんが教育長になったとき、「さぶろうドーナツ再現したいから淡路さんやってみてくれないか?」って言われた。けど、地区が違うから、見たことも食べたこともないドーナツ再現してほしいと言われて。レシピはもらいました。卵1個、小麦粉お茶碗で1つ。大きいお茶碗もあれば、小さいお茶碗もある。何グラムでもない。それと、重曹少々。(笑)「えーこれで少々ったって何グラムよー」って。そこさまた物好きが始まって。昔から料理の作り方がよく雑誌さ入ってくるねが。それを一晩かけて調べて、ドーナツの作り方を何種類か引っ張って。そして、「これを作ってみよう、これも」と全部やって。「ところで、どういう風なやつ?」って昔食べた人方に聞いてやってみたら、「こんなに綺麗でねくて、もっと真っ黒だった」って言われた。新しい油で揚げれば絶対黒くならねぇはず。「昔は丸かった」って。丸いやつだったら中まで火が通らない。だから(丸を)つぶしてみた。これに半年かかった。
 
  最初は生地を作って、すぐ揚げました。そしたら、ぜーんぶ鍋の上にまとまらないでばぁーとなった。もう5ヶ月の間、何回も何回もやったけど、発酵させるっていう頭がなかった。(笑)
生地作ってすぐ揚げるから、まとまらないのに気がつかないわけよ。そして、「ある日生地作ったけど今日は時間ないからやめだ。明日もう1回やってだめだばもう断る」そこまでいったわけ。次の日生地出して、「やってみっかー」って作ったらちゃんとできた。そこで、「あ、パンと同じで発酵させなきゃだめなんだ」と気づいて「やったー!できた!」ってすごく嬉しかった。
 

大切にしていること
 
 やることをちゃんとやんなきゃだめなんだなと。ただ、水につけます、蒸します、つきます、それだけだから、ここに注意してやんなきゃだめよってことはないわけよ。だから、母親は「ん?」って気づいたら、書けっていうわけよ。ここだめであったなってときは、「米洗いていねいに」とかって、ぷつ、ぷつメモっておく。それは76歳になっても守ってる、ずっと。
 

手伝って覚える
 
 母親が、あんこ煮るのを手伝いながら、あんこを焦がせば困るから、焦げ付かないように回さねばねったよって教えてもらって。手伝って覚える。自分がやろうとしたことさ対して、ここ注意しよ、注意しなさいよって教えられたのがやっぱり今に生きています。
でも、やっぱり親の上(のレベル)さまで、なれねなって思う。だって、母親は、1人で、畑やって、畑から出た野菜を漬物して、米を粉にしておやき作って、あずき植えて、あずき煮て。私は今、畑やれないもん、母みたいに。畑はもう原野みたいになってる。だから、母以上になれないなとは思うけど、「やれるところまで楽しんでやればいいやー」の気持ちで慌てない、欲張らない、やっぱり楽しくなきゃやられない。
 

休みの日の過ごし方
 
 雑誌全部切って自分で教科書みたいにしてる。それをやっぱり見て、今度何を作ろうかなと仕事の中で、ん?浮かんだものがあれば、それの作り方を休みの日に探す。これあれば何もいらないと思う。



淡路さんの教科書



寝るときも考える
 
 今日は一日終わりだけど、明日は何から始めようって寝るときに思う。明日の仕事のシュミレーションを考えて、明日はご飯蒸してから始めないと、とか。米、水切りして、具を煮て、たんぽ作って。その次、たんぽ焼いて、冷ましておいて、冷ましたら今度体験工房さ来て、味噌つけてパックして。じゃ、朝はそれでオッケイ。
 

これからのこと
 
 私らがこうして喋れるうち、動けるうちに誰かやっぱり後継者を募集でもいいな。一緒に作業しながら少しずつ教えていく、そして、それからまた新しい方法がでてきたら、変えていく。
 





【取材日:2025年9月28日、10月19日】



【名人プロフィール】




氏名:淡路敬子
ふりがな:あわじけいこ
生年月日:昭和24年10月24日 76歳
職業:味噌づくり、郷土料理家

略歴:昭和24年、秋田県藤里町に生まれる。大館桂高校を卒業する。現在の役場(農畜産物処理加工センター)のつながりで農林課から特産課に異動になる。そこで、施設見学に来た子どもが味噌がどうやってできるのか知らないことに衝撃を受け、58歳で加工センターを退職、独立。60歳から味噌づくりの体験ができる「白神の恵体験工房」を設立。現在は白神の恵体験工房の代表を務めている。
 



【聞き書きを終えての感想】
 1回目の取材では、どのように質問すれば淡路さんの人生や味噌づくりについて深く伺えるのか不安で緊張していました。けれど、淡路さんがとても気さくな方で、取材前に「どんなことをきかれるのか緊張してる」とお話しされていたのを聞いて、私もなぜか少し気持ちが楽になったのを覚えています。
 特に印象に残っているのが、「やれるとこまで楽しんでやればいいやーの気持ちで慌てない、欲張らない、やっぱり楽しくなきゃやれない」という言葉です。取材中も本当に物をづくりを心から楽しんでいるご様子がうかがえ、そこに至るまでに積み重ねてこられたご経験の深さを感じました。2回目の取材では、味噌づくりを体験させていただきました。ミンチ機をぐるぐる回す作業が楽しく、貴重な経験になりました。









*旅する藤里 まとめページへ
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2496



 




知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。

このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。

藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115


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  • 登山にスキー、白神山地の散策など
    ほかでは味わえない大自然の遊びがいっぱい!

  • 藤里の澄んだ空と水は感動の美しさ。
    露天風呂や地元の料理を楽しめます。

  • 大量にはない、手ざわり感ある品々。
    豊かな水が生み出す自然の美味しさです。