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【特集】旅する藤里 「清流荘」前編

【前編】





清流荘
藤里町の最も奥の真名子地区にある清流荘。冬は静かな時間が流れる。 
 

 「白神山地いやしの宿 清流荘」は、藤琴川に沿って走る道を白神山地に向かって奥へ奥へと進んでいくと、右手に見えてきます。すぐそばには、藤里町を代表するミネラルウォーター「白神山水」を製造する工場「白神山水の館」があり、その少し先は冬季通行止めになる区域で、藤里町のなかでも特に自然豊かな場所です。宿泊施設としての利用だけでなく、他ではなかなか食べられない山の恵みをふんだんに使った昼食や夕食を求めて、各地からファンがやって来ます。

 この清流荘を運営する「くまげらの会」の代表・小林幸一さん(前編)と、料理を担当する中川ツヨさん(後編)に、清流荘のことやご自身のことを伺いました。






 
代表の小林幸一さん。藤里で生まれ育ち、町が元気になればと町議会議員を務める。





今から10年前、地域を盛り上げようと始まった。


 
元々は地域の集会施設で、今から約10年前の平成20年に、エコ・グリーンツーリズムを町で盛り上げていこうとする流れがあって、改装して宿泊施設にしたのが始まり。そこで、地域の住人8人で「くまげらの会」を立ち上げて、私が代表になったんだよ。「積極的にやるべ」と荒川民子さんが言い出し、料理が得意だった中川ツヨさんをトップにね。1993年に白神山地が世界遺産に登録されてから10年以上が経って、車で人がドンドン来るようになり、どこかにコーヒーを飲ませるようなところを作ればいいというような話は以前からしていたんだ。


 皿はいっぱいあるんですよ。あちこちで人がいなくなった家や蔵を解体して、使わなくなった皿をもらってきました。人が一番多かった時には、40人分を用意したことも。埼玉県から子どもたちが泊まりに来た時には20人くらいいたかな。夜は寝ないわ、けんかはするわ大変で(笑)。今はみんな年をとってきたから、せいぜい10人くらいまでかなあ。あとは、町民が遠方の知り合いを連れてくることもあるし、1泊か2泊で魚釣りの人も来る。4泊なんて人もいるし、ここ3年連続で毎年夏に来ている人もいますね。飲むお酒を自分で持ってきて、自由にやって楽しんでいますよ。






中川ツヨさん

料理を盛り付ける中川ツヨさん。素材の味を生かす味付けで、山の恵みをしみじみと味わえる。 






  春は山菜、秋はきのこを楽しみに方々からやって来る。



 夜ご飯だけの人もいるし、お昼だけの人も結構います。きのこを楽しみに来る人が多いですね。自分で採りにも行くし、歩ける人にお願いして採ってもらい保存しておく場合も。保存は昔ながらのやり方で塩漬けにしたり、あとは冷凍したり。サワモダシ、ナメコ、ブナハリダケが多いかな。食べたことがない人からすると、美味しいって。ナメコ、シイタケのように栽培できるものならいいけれど、天然ものは「これ出します」とは言えない。採れる年と採れない年があるんだよね。

 春は山菜。コゴミ、シドケ、ウド、アイコ、ミズ、ワラビ。春になって山に行けばほとんど食べられるものだから、山に行くのが楽しみ。山のウドが大好きで、和え物もいいけれど、みそ漬けにするの。皮むいてゆがいて、ひと晩みそに漬ける。みそは自家製で酒粕を合わせて、少し重石をして一晩。昔から中川さんが、酒粕を入れて漬けたのを老人クラブに持って来てたんだ。ここでは、塩漬けしたウド、ワラビ、ゼンマイなどを大きな鍋で煮るからすごく美味しい。

 ここでは山菜がメインだけれど、すぐ近くの横倉で養殖しているイワナも喜ばれる。中川さんが刺身に卸してね。近くの北秋田市の人が、横倉のワサビとかクレソンとかを調べてよく知っていて、札幌の人とか遠くの人を連れて、昼ご飯を食べに来たりもしている。あと、イワナの刺身を食べた後に、あら汁をみそ仕立てにして出すとすごく喜ばれるんだ。以前、秋田の国際教養大学の学生さんたちが来た時、留学生たちが食べるかなあと思っていたら、スープはすっかり消えていたよ。食生活が全然違うところなのに。でも、ねばねばしたミズのたたきは食べてなかったなあ(笑)。

 昨年9月、10月の紅葉の時期は、本当に忙しかった。ほぼ毎日。紅葉になる前から、人がいっぱい来た。3日以上前に連絡してもらわないと美味しいものが出せないので、早めに連絡してもらえれば。ここには商店がないから、きりたんぽのリクエストがあれば、藤琴(町の中心部)に鶏ガラを買いに行ったり、天然のワサビを用意したりと前もって買い出ししないといけなくて。リクエストがなければ、秋や冬の夜はだまっこ鍋を出してます。美味しいと言ってきれいに平らげてくれた時はうれしいなあ。






小林幸一さん
清流荘の前にある大きなメタセコイアの前に立つ小林さん。昭和58年まで続いた金沢小学校がこの地にあった。





鉱山の思い出と、営林署での仕事。


 
私は60歳から藤里町の町議会議員。町のみなさんが元気よく、生活しやすくなればと思って、勤めを1年くらい早く辞めて議員になりました。元々は営林署で国有林の杉を育てたり管理したりする仕事で、木を切って運搬する仕事もしたね。中学を出て16歳のころから山の仕事に就いたんだ。ここから高校が遠くて、下宿するお金がなくて、高校には行けず、どこにも行かれないのならここにある仕事をという感じで営林署に入ったの。家は兼業農家だったから、自分たちが食べる分の米を育てて、あとは営林署の仕事で生計を立てたんだ。


 昔は太良鉱山もあって、畑のものが結構売れたんだ。鉱山には社宅110軒くらいと、独身寮も。町内の人でも通うのが大変だからって、寮に入っている人もいたの。鉱山で暮らす子どもたちは中学になるとここの地区にあった金沢中学校に来て、小学生は太良にある分校で勉強しました。中学校では12人くらい太良から来ていて、同級生は35、6人いたから、今の藤里中学校より余計いたね。昭和33年の水害で鉱山が閉山するまで、結構人がいたんだよ。夏になると7月12日にお祭りがあって、運動会もあった。走りに行って、結構高価な商品をもらったなあ。子どもは行けないけれど、大人は映画館に映画を見に行ったりしていたよ。

 営林署の仕事はかなり大変で、暑いなか自分の力でしないといけなかった。草刈りは鎌を使って、切れるように自分で研磨してね。夏の暑い時期にやらないといけない仕事だったので、途中めまいがしてくるほどだった。よく日射病になって倒れなかったよなあ。昼ご飯は大きい弁当でなければ、体がもたなかったね。小学校も中学校も給食ではなかったから、弁当を持って行って、冬はストーブの上に置いて温めて食べたんだ。戦後の何もない時に暮らしたから、子どもの時は甘いものが食べたいと山に行って、何でも食べられるものを口にしたよ。キイチゴ、ホオズキのような赤い実のエンレイソウ、アケビ、ブドウとかね。

 あとは、山の冬の仕事では、スギのまわりの広葉樹を倒して、スギを伸びやすくしたり、スギが密集したところを間引きしたり。植林したスギを伐採して運搬する仕事もしたね。人間の力で山の上からソリを使って運んだよ。昭和30年ごろから機械化が始まって、チェーンソーを使ったり、集材機を使って運んだり。昭和40年代後半になるとブルドーザーが出てきて、自走路作って、谷から谷へワイヤーを張って運んだね。今の技術はすごいけれど、山の仕事は危険でけがしたり、亡くなった方もいたよ。あと、山歩きは毎日仕事に行って、先輩方から聞かされたりして自然に覚えていったなあ。


(後編につづく)


*旅する藤里「清流荘」 後編
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/1801











 
 

     ライター : 久保田真理(くぼた・まり)
  
   ライフスタイル誌の編集者、オーストラリアでの写真留学を経て、フリーランスとして独立。国内外の取材を通じて、多様な生活や文化の魅力を発信する。秋田市生まれ、茨城・千葉育ち。趣味は、日本酒、トレイルランニング、ソウルミュージックの世界に浸ること。

 



知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。

このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。

藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115





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    大量にはない、手ざわり感ある品々。
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