【後編】
営業終了いたしました。
2017年10月に宿泊したカップルと桂田さん夫婦。藤里の人のやさしさを知り帰路についた。
藤里町に入って車で4分ほど進んだところにある粕毛地区では、民泊が可能な家が6軒あり、ここで暮らす人を通じて藤里をより深く知ることができます。そんなうちの1軒、「農家民宿 桂」を営む桂田勲さん、京子さんは、約10年前に藤里町に引っ越し、セカンドライフを楽しむご夫婦。自然豊かな環境で、山菜を採ったり、保存食を作ったりと充実した日々を送っています。
農家民宿を始めたきっかけや思い(前編)に続き、京子さんの人生や藤里町のバイタリティなどについて伺いました。
勲さんを巻き込み、手をかけて作ったクリの渋皮煮。自宅にはクリの木が2本あり、昨年はこれでも不作だったそう。
ヘルパーの仕事で柔軟さを身につけた
民泊で受け入れる時は、食事のメニューを一番考えますね。あとは、冬であれば寒さ。寒くないよう布団を温めたり、電気あんか、湯たんぽを入れたり。うちは古い家ですきま風が多いので、寒いとかわいそうだなと心配になります。食事に関しては、男性は肉系がいいかな、オーソドックスなものがいかなという感じで、女性は神経細やかに目で楽しむものを考えます。実は子供のメニューが難しいんですよ。以前受け入れた子で卵がダメな子がいて、その時はチャーハンにしてあげたりしましたね。私は元々訪問ヘルパーを15年以上やっていて、どこの家でも食事の仕事が入ってきた経験があります。食欲がない人に出すので、どうやったら食べてもらえるのか考えましたね。
ヘルパーの前は、店員の仕事をやってきたから、人を相手にするのは苦手じゃないのよ。高校を卒業して東京に行き、砂町銀座商店街にあった知り合いの洋品屋に住み込みで働いたの。あまりものをしゃべるのが好きじゃなかったので、お客さんが入ってくると隠れたりして(笑)。当時はあれやりたいとかなくて、ボーッとしていたのでもったいなかったな。東京には8年いて、戻ってきて能代市のお店で働きました。贈答品、記念品、掛け軸とか絵とかを販売するお店でしたが、閉店したのでそれからヘルパー業に就きました。
ヘルパーの仕事は、50歳前の40代の時から。ヘルパー3級からスタートして、身体障害者・認知症などいろいろな部門があるんですよ。親戚の会社がいろいろな仕事をやっていて、最初はスーパーの販売員をやってと言われたんだけれど、食べてくださいと言う勇気がないから考えておくって言ったのね。やっぱりダメと断りに行ったんだけれど、ヘルパーの制度が始まったからまずは名前だけ書いていけって言われて。仕事は1か月前に知らされて嫌になったら断ったらいいと言われていたのにすぐに仕事がきて、断るのが嫌で頑張って15年続けましたね(笑)。
ヘルパーの仕事は夜寝るまでずっと続きます。安否確認で9時まで仕事して、10時、11時に帰ってくるような生活でした。こっちに来てからも、少しヘルパーを続けていたんですよ。1軒1軒、味から何から違います。こっちが美味しいと思っていても、相手は辛いのが好きだったり。3回入ると、その家が分かりますね。その人の性格もあって、掃除の仕方も違いますから。それまでは、脱ぎっぱなしとか嫌でキチンとするタイプだったんだけれど、自分の性格が変わりました。訪問ヘルパーの仕事で人間が磨かれたと思っています。その家を見て、ゴミがあっても病気にならないしと柔軟に考えるようになって、人間を育てるためには訪問ヘルパーの仕事は最高だと思います。ズカズカとその家に入っていける仕事は、他にないでしょう(笑)。
朝食の最後は、粕毛地区で作る無農薬栽培のブラックベリーのピューレをヨーグルトにかけて。さわやかな酸味が朝にぴったり。
自分たちが頑張って、次世代につなげていけたらという思い
この粕毛の民泊の事業に関わっている、ふじさと元気塾の小山弘貴さんが次の世代につなげるために頑張っていると聞いて、自分たちが頑張っている様子を知った若い人たちにつないでいけたらと思って、この活動に参加しています。サービス業をやってはきたけれど、おもてなしができたかなあ、お客さんはどう思って帰ったかなあとまだ不安が先に出てしまいますが、体が動く限りは頑張ればと思っています。いただいたお金を積み立て、家族で自分たちの楽しみにのために使えるのもいいですよね。
あとこの粕毛地区では、ブラックベリーを栽培しているんですよ。地場産品の宣伝になるようにと昨年12月9日、10日で神奈川・藤沢に販売に新幹線で行ってきました。乗り遅れそうになって、走った、走った(笑)。新幹線ってなんでこんなに長いのかしらと思いながら、帰りの新幹線ベルが乗るなか飛び乗りました。歳末の福引きのイベントで、一緒に行った小森久博さんが抽選会場の前で川ガニのみそ汁を作って無料配布したのね。そうしたらみなさん義理堅くて、いろいろ買ってくれました。ブラックベリーのピューレのほか、生のアユ、うるか(アユの内臓の塩辛)、アユの甘露煮・燻製、ししとうみそ、マイタケ、黒ニンニクも販売しました。5人で行って、いい体験させてもらいましたね。
ブラックベリーのピューレは、昨年分の650個を完売できました。協力隊がいて、実がなるまで草刈りしたり面倒を見てくれています。実が熟すると有志で摘み取りに行っていますが、旬の盛りになると1日おきに摘み取りしないとダメですね。無農薬で栽培しているし、農薬を使っている田んぼも周りにないから、虫がつくんですよ。摘み取る時、毛が飛ぶから虫を落とさないようにして、男性たちが箸で虫を捕っているんです。摘み取りはお盆前の8月から9月いっぱいまでやって、摘んだ実を瞬間冷凍して保存して、交流センターで午前9時から午後3時までスタッフ7人で加工しています。1軒でやると大変だけれど、一緒に共同作業すると、その人のことも分かっていいよ。今年で3年目、ありがたいことに美味しいと評判がいいです。ヨーグルト、レアチーズケーキにかけたりして食べるといいですよ。
京子さんがご飯の支度を忘れて没頭してしまう切り絵。藤里町には、切り絵作家の平野庄司さんが多く残されている。
暮らし上手の人に囲まれて刺激をもらう毎日
この辺りの人はタフだよね。疲れて帰ってきても農作業している。体力がある人が多いなあと思います。さっきも近所の方が手作りの焼肉のタレを持ってきてくれて、すごく上手なのよ。こういうのを食べると、買ったのが食べられなくなってしまうくらい。漬物も上手だし、畑のものを加工するのも上手。みんなやる気満々で、すごいなあと思う。みんなが頑張っているから、私も頑張れるのよね。
町にはふじこま大学といって郷土史や陶芸、料理などが習える講座があるんだけれど、切り絵を習ってはまりましたね。一度始めたら止められなくなり、「ご飯の支度をして!」と怒られつつ、「ちょっと待って!?」と返すほど。あとは、書道も20年。能代市に2週に1度通って、教える資格も持っているんですよ。掛け軸を作ったりして残しておきたいなあと思っています。それから、庭のクリも落ちてくるから放っておけないし、イガを片付けるのが大変だからうちの人を巻き込んで、一生懸命鬼皮をむかせたりしています。コハゼをジャムにしたり、花豆を栽培して煮たりといろいろ保存食も作っていますよ。
藤里の好きなところは、やっぱり自然豊かなところかな。山菜を採りに行ったりしてね。考えてみると贅沢よね。シドケ、ボンナ、アイコ、ゼンマイと贅沢なものを食べている。ゼンマイをもんで乾燥させるのも大変だし、アクが出るから調理するのも大変だけれどね。いろいろ楽しませてもらっています。
(施設編へ続く)
*旅する藤里「農家民宿 桂」 施設編
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/1815
*旅する藤里 まとめページへ
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2496
ライター : 久保田真理(くぼた・まり)
ライフスタイル誌の編集者、オーストラリアでの写真留学を経て、フリーランスとして独立。国内外の取材を通じて、多様な生活や文化の魅力を発信する。秋田市生まれ、茨城・千葉育ち。趣味は、日本酒、トレイルランニング、ソウルミュージックの世界に浸ること。
知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。
このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。
藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115
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