【後編】
岳岱自然観察教育林の手前にある、くるみ台キャンプ場。サワグルミの林に囲まれ、穏やかな時間が流れている。
体験教室や棚田を守る活動を行っている「白神ぶなっこ教室」。旧坊中小学校の校舎に宿泊し、地元の食材を使った郷土料理を食べながら藤里の暮らしを体験できるツアーを通じて、藤里の自然の素晴らしさ、ここで生きる人々の強さを伝え続けています。これを主催する佐尾和子さんは、東京都世田谷区出身。ブナの木へのあこがれから藤里町を知り、関わり始めて30年になりました。
佐尾さんの藤里との出会い(前編)に続き、価値観などについて伺いました。
田んぼの草抜きをする子どもたち。都会ではできない体験が、子どもたちにさまざまな気づきを与える。
学生時代に得た原点をさらに深めてくれた藤里
私にはガイドはできない、外側からの支援しかできないと思っていましたが、藤里に通うようになって12,13年経ったころ、鎌田孝一さん、市川善吉さんを見て私は規格外でダメなんだけれど努力はしたいと思い始め、ガイド講習を受けました。
講習は年10回、2年間実施され、1回目だけは出られませんでしたが最後まで一度も休まずに通いました。私にとって、とても大きなことでした。これがあったから、今度は地に足をつけて具体的な場で何か貢献できればと思い、ぶなっこ教室につながりました。
頭の中でいろんなことが分かったつもりでも、実際に藤里に来てみていろんなところにすごい人たちがいるんだ、ものごとはこう考えていかないといけないんだと思ったことが一番大きく、私の仕事の上で核になっています。
私は大学時代、専門がアメリカ研究で、政治、経済、思想、文学、歴史といったひとつひとつが必ず何かにつながっていて、トータルに考えないと真実にたどりつけないと学びました。
例えば、アメリカの場合、差別する側、される側といろんな視点があり、いろんなことが複雑に絡み合う環境問題に取り組む際にもこういった視点を持ち合わせていたことがとても役立ちました。これが私の原点となっていたのですが、藤里でもうひとつの原点を持つことができて、さらに根本が深くなったと思っています。
藤里駒ヶ岳の麓にある田苗代湿原にて。春から夏にかけて高山植物が咲く。写真は咲き始めたミズバショウ。
鎌田さん、善吉さんとの出会い
家族で夏休みに初めて藤里を訪れ、あまりにも素晴らしくてすぐ秋に藤里駒ヶ岳の登山に来たのですが、その年の8月には青秋林道道路の建設が二ッ森まで進んでいていよいよ青森県に入っていく段階だったと記憶しています。
これは今の世界遺産核心地域を縦断する計画で、道路建設には保安林の解除が必要でした。解除されないよう、有効とされていた赤石川上流にある鰺ヶ沢住民の署名だけでなく、全国的に集めて反対しましょうと秋田自然を守る友の会も動き始めていたところで、私も持ち帰って友人知人に頼んでみました。
いろいろなところに呼びかけて、約380通集まりました。個人でこんなに集めた人はいないと鎌田さんがで喜んでくださり、ブナの実を送ってくれたり、山開きにもいらっしゃいと言われました。この実を言われた通りに発芽させて、2本のブナの木が我が家の庭で今でも順調に育ち、1本は2階くらいの高さになり、大分枝を張っていますよ。
友だち夫婦を誘って藤里に行き、年2回ずつ7年通ったところで、横倉地区を紹介されて家を建てました。藤里に通うようになってすぐに善吉さんを紹介されましたね。鎌田さんと善吉さんは両輪のような関係で、鎌田さんが山に行くと善吉さんも来てくださって。
友の会でも善吉さんと過ごす時間が長かったですね。善吉さんはすごい方。この方の話はどうしても残したいと思って、『白神のブナと水とけもの道』という本を2002年に出版しました。
藤里で自然に生きる人たちにまた会いたくて、藤里に30年以上通う佐尾さんにとって、ここはふるさとになっている。
帰る場所がある、つながっているのがふるさと
善吉さんは、山菜、きのこ採りの名人で、夫がよく連れていってもらいました。ぶなっこ教室の食材はそうやって調達したんです。話もいいけれど、座っているだけでホッとするような存在で。ガイドとしても人気で、ぶなっこ教室のガイドを大事にしてくれました。こういう活動は続けないとだめだべと言ってくださって。
また、「秋田自然を守る少年団」(自然にふれながら活動するグループ)を鎌田さんたちと一緒にやり、2001年にその25周年記念誌を出しました。友の会のメンバーは高齢化し、ガイドのなかでも青秋林道建設を止める活動の様子を知っている人は、鎌田さん以外には私だけになってしまいました。鎌田さんのお孫さんも少年団に入っていましたね。ずいぶん子どもたちが関わっていたので、その経験の影響を受けて大人になった人も多いのではと思います。
藤里中学校の校門前にある坂道も、雪が降れば遊び場に大変身。自然は子どもに無限の想像力を与えてくれる。
私がここに来なければ分からなかったように、人それぞれだけれど何かを持ち帰って欲しいと思っています。自分の好きなこと、また会いたい、来たいと思えるつながりを見つけて帰って欲しいなと。
気持ちって、つながると思います。あそこの木は、あそこの川はどうなっているかな、あの人はどうしているかな。場所は違っていても、同じ時間を過ごしていて、気持ちを共有できる間柄になれました。ふるさとって、何かあっても心がつながっている、そういうものだと思います。
帰る場所があるという気持ちは、東京で生きる根源になりました。生まれたところでなくても、こういうふるさとがあってもいいと思います。藤里がいろんな人のふるさとになって欲しい。30年関わるとすっかり町の視点になってしまっているけれど、自分が暮らすところ、帰れる場所の両方があると強みになると思います
ここはすごいおもてなしができる場所だけれど、スタッフが高齢化していていることもあり、できれば若い人がやってくださるといいなあ。若い人のまた違ったアイディアに期待できるし、ぶなっこ教室が若い人の力を発揮する場のひとつになり、活性化につながればと思います。
(ぶなっこ教室編へ続く)
*旅する藤里「白神ぶなっこ教室」 ぶなっこ教室編
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/1822
*旅する藤里 まとめページへ
https://www.town.fujisato.akita.jp/kanko/notices/2496
ライター : 久保田真理(くぼた・まり)
ライフスタイル誌の編集者、オーストラリアでの写真留学を経て、フリーランスとして独立。国内外の取材を通じて、多様な生活や文化の魅力を発信する。秋田市生まれ、茨城・千葉育ち。趣味は、日本酒、トレイルランニング、ソウルミュージックの世界に浸ること。
知られざる藤里の旅は、“大切なものは何か”気付かせてくれるはずです。
このコラムは聞き書きの手法で藤里町ツーリズム協議会が制作しお届けしています。
藤里町ツーリズム協議会 電話0185-79-2115
*白神山地ふじさとのストーリーが届くフェイスブックはこちらです*
フォローすると定期的にストーリーが届きます
https://www.facebook.com/fujisato.syoukoukankou/